山梨県上野原市の陶陽庭では、多くの草木が休眠状態に入り、
寒さに耐えながら、春への準備をしています。
そんな寂しい季節にも、この花はクリスマスの頃になると咲いてくれて、
遠くから響いてくる何かを聞こうとするかのように小首を傾げています。
花に見える部分は、実はがく片でそのまま残るため長い期間鑑賞することができます。
四季折々、その姿を変化させて私たちを楽しませてくれる草木の中で、
変わることなく静かに佇んでいるのは、この陶陽庭ができて間もない頃に、
吉祥寺のお客様の庭から譲り受けてきた石灯籠です。
そこに刻んである文字を読むと、
奉献 石灯籠
武州東叡山 ←上野寛永寺
大猷院殿 尊前 ←徳川家光の墓前に奉納
慶安四年極月二十日 ←家光が亡くなったのは慶安四年四月二十日。その年の極月(十二月)
秋元越中守富朝
とあります。
この秋元富朝(とみとも)は、いまの山梨県都留市のあたりにあった甲斐谷村藩の当主で、
その業績は、富士山の積雪が解けて発生する濁流「雪代」から田畑を守るため、
信州からアカマツ3万本を取り寄せて植林したこととされています。
約350年前に谷村城主から、家光の墓前・上野寛永寺に送られ、
いつしか吉祥寺へとやってきて、さらに様々な縁が重なって、
ここ陶陽庭へとやってきたこの石灯籠。
その送り手の残した仕事が、私たちと同じ木を植える仕事であったということに、
深い因縁を感じずにはおられません。
このアカマツ林は、今も富士山吉田口登山道の一部を、
諏訪森国有林として担っていますが、ここでもご多分に漏れず
マツノザイセンチュウの脅威にさらされています。
以前からマツの大木の幹に穴をあけて、農薬の樹幹注入で対症療法を施す
方法を試みられていましたが、環境の変化や森林の遷移の中で、
それは一時しのぎにしか過ぎず、管理をしている林野庁山梨森林管理事務所でも、
これからの対策を検討しているようです。
ナラ枯れやマツ枯れは全国的に深刻な問題となっていますが、
森は、気の遠くなるような時の流れの中で、次の森のために土壌を用意して、
少しずつ動いています。
それは森林生態学的に見ると、常緑広葉樹への遷移となるようです。
悠久の時の流れの中で、
誕生、死、再生という無窮のサイクルが繰り返され、
そのほんの一瞬を生きているにすぎない私たちにできることは、
豆粒ほどの微々たることですが、希望を持って、良き想いを抱いて、
日常茶飯を大切にすることしかないのだなあと思う年末です。(T)