藤倉造園設計事務所

仕事納め


2011年の仕事納めは6年前に施工した(T)さんの庭です。

常日頃から庭のことを大事に思い、愛情を込めて庭と向き合っている(T)さんの庭は

雑木達も健康に育ち、良い生態系が保たれています。

葉を落とした雑木の庭も良いもので、幹の肌の色や樹木の傾きを見ているだけでも

新緑や紅葉に負けない見所のひとつです。

春先まで落葉樹の葉はありません。

毎日眺める住宅の庭で、冬の4ヶ月間を楽しく飽きがこないようにするには空間取りを含め、

雰囲気づくりに徹していかないと難しいようです。

冬の庭はごまかしは効きません。

植木屋としての課題のひとつであり、冬の庭こそ見応えのある空間にしたいものです。


写真奥に見える小屋は物置と駐輪場になっています。

毎日のように通学や買い物などで自転車を出し入れする為、

庭の面積からすると少し広めの園路を設けましたが、

雑木達も成長をする中でボリューム感を増し、

今となってはちょうど良い広さの園路として馴染んできました。


駐輪場への道すがらは三和土です。

関東の赤土をベースに石灰とにがりを混ぜ合わせて叩き込む工法は、

自然素材のため、コンクリートと違い年を増すごとに状態が良くなっていきます。

当時、近所の豆腐屋さんから分けていただいたにがりを、手の力で叩き込んだ土は、

時間とともに硬化していきました。

多少の凹凸はありますが、苔に覆われてきた三和土は、

赤土の優しい色で違和感なく庭に同化して雰囲気を明るくしてくれています。

陽当たり良好であったこの住宅も、4年前から隣地に大きなマンションが建ち、

冬の間はなかなか陽の差し込む時間が少なくなりました。

当初下草で植えていたミヤコワスレやアヤメなど、

花を楽しむ下草の勢いが少し弱くなってきた植物はありますが、

わずかに陽の当たる箇所に種を飛ばし命を繋げている植物の生命力にとても力を貰います。

 

樹木をはじめ、命ある植物には計り知れない力があります。

人の心を和ませ、幸せな気持ちにさせてくれる植物を

もっと理解して最大限活かしていく努力を重ねていかねばならないでしょう。

 

今年は震災や台風といった自然の脅威を改めて知った1年でした。

自然とは時に鋭く牙を剥き、恐ろしいものですが、

同時に感動でき優しい気持ちになれるのも自然です。

 

私たちの仕事は、住宅にみどりを植えて住む方々に居心地良く暮らしていただけるように

住環境として空間を整えていくことです。

大自然のように雄大な雰囲気づくりは難しいですが、居心地が良く、自然を肌で感じられ、

ちょっぴり感動のできる庭づくりを続けられるように駆け抜けていきたいと思います。

 

庭主様たちをはじめこの1年、たくさんの方々にお世話になりました。

心より感謝申し上げます。

来年もどうぞよろしくお願い致します。(F)

 

 

 

 

 

 

 

 

悠久の時の流れ

山梨県上野原市の陶陽庭では、多くの草木が休眠状態に入り、

寒さに耐えながら、春への準備をしています。

そんな寂しい季節にも、この花はクリスマスの頃になると咲いてくれて、

遠くから響いてくる何かを聞こうとするかのように小首を傾げています。

花に見える部分は、実はがく片でそのまま残るため長い期間鑑賞することができます。

四季折々、その姿を変化させて私たちを楽しませてくれる草木の中で、

変わることなく静かに佇んでいるのは、この陶陽庭ができて間もない頃に、

吉祥寺のお客様の庭から譲り受けてきた石灯籠です。

そこに刻んである文字を読むと、

奉献 石灯籠
武州東叡山 ←上野寛永寺
大猷院殿 尊前 ←徳川家光の墓前に奉納

慶安四年極月二十日 ←家光が亡くなったのは慶安四年四月二十日。その年の極月(十二月)
秋元越中守富朝

とあります。

この秋元富朝(とみとも)は、いまの山梨県都留市のあたりにあった甲斐谷村藩の当主で、

その業績は、富士山の積雪が解けて発生する濁流「雪代」から田畑を守るため、

信州からアカマツ3万本を取り寄せて植林したこととされています。

約350年前に谷村城主から、家光の墓前・上野寛永寺に送られ、

いつしか吉祥寺へとやってきて、さらに様々な縁が重なって、

ここ陶陽庭へとやってきたこの石灯籠。

その送り手の残した仕事が、私たちと同じ木を植える仕事であったということに、

深い因縁を感じずにはおられません。

このアカマツ林は、今も富士山吉田口登山道の一部を、

諏訪森国有林として担っていますが、ここでもご多分に漏れず

マツノザイセンチュウの脅威にさらされています。

以前からマツの大木の幹に穴をあけて、農薬の樹幹注入で対症療法を施す

方法を試みられていましたが、環境の変化や森林の遷移の中で、

それは一時しのぎにしか過ぎず、管理をしている林野庁山梨森林管理事務所でも、

これからの対策を検討しているようです。

ナラ枯れやマツ枯れは全国的に深刻な問題となっていますが、

森は、気の遠くなるような時の流れの中で、次の森のために土壌を用意して、

少しずつ動いています。

それは森林生態学的に見ると、常緑広葉樹への遷移となるようです。

悠久の時の流れの中で、

誕生、死、再生という無窮のサイクルが繰り返され、

そのほんの一瞬を生きているにすぎない私たちにできることは、

豆粒ほどの微々たることですが、希望を持って、良き想いを抱いて、

日常茶飯を大切にすることしかないのだなあと思う年末です。(T)

 

駐輪場の庭7年目の手入れ

10月から休みもなく手入れに追われる日々も、終盤を迎え先が見えたので、

精神的にゆとりが出てきました。

そんな中、竣工してから7年の時を経た雑木の庭の手入れに訪れました。

小さい庭ながらも雰囲気を増してきて、来るたびに喜びを感じます。

とくに7年間、消毒などせずとも健康に育っている木々たちのことを何よりも嬉しく思います。

設計した時のイメージを超え、小さなウッドフェンスの仕切りで囲ったことにより

逆に広さを感じられるということを確認でき、大きな収穫のできた庭でもあります。

師走の終盤にも関わらず、美しい紅葉をしているコナラを始め、

モミジやアオダモなども健やかに育っています。

そんな樹木の本来の成長のあり方を尊重して、

決して押さえつける手入れはせずに、のびのびと育った樹木たちの成長に、

私達は自然を感じ、喜びを感じているのです。

作庭当初、小学2年生で庭づくりを興味津々に眺め、笑顔の可愛かった小さな男の子も、

中学3年生になりたくましい青年になっています。

声変わりもして私達に会うことも恥ずかしそうにしていましたが、

話してみると笑顔は当時のまんま可愛い笑顔でした。

樹木も人間と同じ、押さえつけると反発して良い方向にはいきません。

上手にその個性を生かしていくように、

バランス良く手を加えて良さを引き出していかねばなりません。

小さい敷地ながらも家族4人分の駐輪場を確保しなければならなかったため、

敷地の半分以上が駐輪場ですが、小さなスペースほど雑木の特徴が生かされます。

敷地に対し広い駐輪場がネックでありましたが、居心地のよい空間を保っています。

家族の成長と共に、年々、庭も雰囲気を増していきます。

そんな庭の木々の変化から四季を感じて、そこでの日々の暮らしから、

感受性豊かな心に響いていくものが少しでもあれば幸いです。(F)

野蚕

山梨県上野原市の陶陽庭でも、

遅ればせながら、やっと冬が到来し、落葉樹達はその葉をほとんど落とし、

冬枯れの木立の中で、幹を楽しむ季節になりました。

そんな中、モミジの枝に、美しい黄緑色の繭が二つぶら下がっていました。

家に帰って、それが何の虫なのか調べてみたところ、

ウスタビガという野蚕でした。

ヤママユのように全国の野山で自然の状態で生息している蚕は天蚕と総称されていますが、

このウスタビガも天蚕に分類されることもあるようです。

写真から、枝と繭をつないでいる柄がわかるでしょうか。

これは、ウスタビガが自らの糸で作ったもので、

もったいないから引っ張ったりはしていないのですが、

ものの本によると、大人の力でもなかなかとれないそうです。

日本では古来から、いろいろな色の微妙なグラデーションを繊細に分別して、

名前を付けてきました。

この繭の色は、若草色とも萌葱色とも柳色とも似ていて、

どれに当てはまるのかはわかりませんが、

とにもかくにも、その天然色が絶妙に素晴らしく見とれてしまう初冬の昼下がりでした。(T)

里山に学ぶ茅葺きの話

※安藤邦廣「里山に学ぶ茅葺きの話」講演会参加募集中

※本日(12月21日)発売の雑誌「住む。」にも安藤邦廣さんの記事がでています。

タイトルは、『森に暮らす、板倉の家。』

「敷地の木々で建てる」「循環する暮らし」です。

安藤邦廣さん設計の板倉の家と共に、庭にあるバイオトイレや生ゴミコンポストの活用で、

小さな循環のある持続可能な暮らしを実践されているご家族のお話です。(T)

 

 

来年の1月22日(日)に日本庭園協会東京都支部による講演会が行われます。

講師は、筑波大学芸術学系教授であり、日本茅葺き文化協会などの代表理事を

兼任なさっている安藤邦廣氏。

建築家であり、民家や日本の建築文化を研究されている第一人者の方です。

 

テーマは「里山に学ぶ茅葺きの話」

自然と共生する循環型社会の構築が求められる今、草で作る「茅葺き」、

ヒノキの樹皮を重ねる「檜皮葺」、薄く割った板を重ねる「杮葺き」を中心とした

植物素材の屋根がどのような材料と技術で葺かれているのか。

山の木を育て、伐採し、屋根材料へと加工され、屋根を葺く過程には、

様々な職人の技が集約されています。

こうしてできた柔らかな曲線を持つ屋根は、里山の風景や

社寺、茶室や庭門などの景観を作り上げてきました。

それが今日、農業の衰退とともに急速に姿を消しつつあります。

土地の恵みを最大限に生かし、自然を素直に受け止めて暮らしてきた先人達の

知恵と工夫を、改めてもう一度考える時期なのではないでしょうか?

 

この講演会を通して、ただ過去を振り返るだけではなく、先人達のメッセージから

各自が未来に繋がる大きなヒントを感じていただければ幸いです。

多くの方々の参加を歓迎いたします。(F)

 

概要

・日時   平成24年1月22日(日)

・講師   安藤邦廣氏 筑波大学芸術学系教授

・テーマ  「里山に学ぶ茅葺きの話」

・場所   日本女子大 桜楓会館2号館 東京都文京区目白2−8−1 03−3942−6090

・時間   講演会14時〜16時  懇親会16時半〜18時半  受付13時より

・会費   講演会 会員3000円  非会員4000円  学生1000円

親睦会 会員・非会員・学生とも4000円

・申し込み 高田宏臣 (高田造園設計事務所) info@takadazouen.com

藤倉陽一 (藤倉造園設計事務所) fujikura.info@gmail.com


東京都町田市・武相荘

雑木林からの贈り物

先日訪れた町田の武相荘では、玄関前の壷にイイギリの枝が投げ入れられていました。

その赤い実からナンテンギリともいわれるこの木の風情がとても季節感があって、

雰囲気が良かったので、我が家でもやってみようと思い私も雑木林から一枝失敬してきました。

しかし、狭い家の中には、そんな大きな壷もなく大きな枝を入れるスペースもなく

思案に暮れていました。

数日後、仕事から帰ると、小さなスペースに収まるように、

フジの蔓にゴールドクレストの葉をさしたリースの中で、

真っ赤なイイギリの実は、輝ける場所を見つけ満足気でした。

こちらも赤い実ですが、同じく雑木林からいただいてきたサンキライ(山帰来)の実です。

楽しい植物の宝庫・雑木林でとってきたものを季節感を出して飾って、

クリスマスソングの流れる家に帰ってくると、とてもうきうきした気分になります。

指折り数えていた聖夜も、もう片手で十分なくらい近づいてきました。

サンタさんは、今年はどんな希望をプレゼントしてくれるのでしょうか。(T)

白樺、青空

小さな頃からよく白樺と唐松の林の中にあるキャンプ場に連れて行ってもらいました。

ここは、枝も沢山落ちていて、それを拾い集めることから始まって、背負子に積み、

山ほど集めた薪を盛大に燃やして、朝まで楽しむことができました。

白樺の皮は、油分が多く火を熾すのにとても都合のいいことを覚えると共に、

ぐるりと一周皮を剥いてしまうと木を弱らせてしまうという戒めも共に学んだのでした。

北海道では、花粉症の原因として嫌われることもあるようですが、

お客様の中でも白い幹の美しい白樺に憧れる方は多くおられ、今日の現場でも、

藤倉造園の先代の社長が植えた白樺がとても伸び伸びと育っています。

もともと成長の早い木が、従来の寒冷な地より温暖な東京ではますます成長が早く、

限られた敷地の庭では、何かしら切られてしまうことがほとんどです。

しかし、この木は、切られることに弱く、

そこから虫が入ったりして衰弱していくケースが多々あります。

秋から落とされる種の量も半端ではなく、庭にはどっさりと種が積もっています。

そんな白樺も、この現場では、お客様の理解と広い敷地の真ん中に植えられたことが功を奏して、

隣家にも比較的迷惑をかけることなく、今日まで30年間伸び伸びと育ってきています。

今日は、手入れの最中、青空に映える白樺があまりにも美しく思わず写真に収めました。(T)

 

今日の浅間山

このブログにも何度か登場している浅間山。

そこは、藤倉造園設計事務所から歩いて数分のところにあります。

ありがたいことに事務所近辺でも、手入れを依頼してくださるお客様が多数おられ、

そちらの手入れの日の昼休みには必ずここを訪れます。

在りし日の武蔵野の風景を留めるここ浅間山は、

コナラやクヌギの高木の下にヤマコウバシやムラサキシキブなどの中木が、

伸び伸びと育っていて、感慨に浸れます。

現場へ向かう車中でも、こんな雑木林が一面に広がっている風景を見てみたかったな〜という

会話が幾度となくありました。

「落葉」などの名作を残した日本画家・菱田春草は、

その作品を代々木で描いたといわれていますが、

そんな風景が、ず〜っと広がっていたようです。

私達が庭で再現しようとしている風景も、武蔵野の雑木林であり、

そのためにも、ここ浅間山の佇まいを、ことあるごとに胸に刻むことは、

とても大切なことです。

数少なく残された武蔵野の風景を身近に体験できる幸運に感謝しつつ、

四季折々の風情を感じています。

今日は、その中の晩秋の風景を写真に収めてみました。(T)

新しい故郷

私達にとって庭づくりをさせてもらった現場は様々な思い入れがあり、

引き渡しの時は寂しく、まるで娘を嫁に出すような複雑な気持ちに包まれます。

ここ町田市鶴川の現場は、以前のホームページを開設して初めての依頼で庭づくりに繋がった、

私にとって記念すべき庭です。

庭主様の故郷、九州より庭石を運び込み、変わらぬルーツを残し、

関東の武蔵野の風景を加えて新しい故郷を作りたいとの依頼でありました。

7年前に竣工をした庭は、時と共に良い環境が保たれ、雰囲気を増しています。

木々達もようやく土地に馴染んできたようで、、力強さを増してきた印象を受けました。

今年はあまり期待していなかった紅葉も素晴らしく、色鮮やかに眼を楽しませてくれます。

手入れをして照葉が落ち、色鮮やかな林床を掃いて掃除をしてしまうのが

ちょっと惜しい気持ちになりつつも、手箒で林床を清めていきます。

ただ、漠然と掃除をするのではなく、つくばい回りの石の組み方や下草の植え方など、

気にしていく所は数多くあります。

当時はこのように石を組んだのか〜など、自分の目線を下げることでしか

眼に入らないことから学ぶことも大切な仕事です。

陽が差し込み建築に樹木の影が映り、林床に木漏れ日が踊る姿は良いものです。

手の入れ方次第で大きく雰囲気が変わってしまうことを肝に命じて仕事をせねばなりません。

故郷の九州の庭はもうありませんが、7年目を迎え貫禄を増し、

ようやく新しい故郷として九州の庭と肩を並べるぐらいの雰囲気になってきています。

雑木達の成長を尊重しつつもバランス良く、自然に逆らわない手法で、

年々雰囲気を増し、いつまでも眺めていたい景色へと続いていけるよう

見守っていきたいと思います。(F)

 

 

 

噛み締めてこそ

今日の現場は、東京都町田市。

今年の紅葉は、いまひとつで残念な思いがあったのですが、

ここは違いました。

一日手入れで現場にいると同じ景色でも、刻一刻と光が変わり、

それによって樹々の葉の色も変わり、風によって葉の姿が変わってとてもきれいです。

澄んだ空気の中で、微妙な色調の重なりを目で楽しみ、

風で葉が揺れ落葉する微かな音を耳で楽しめます。

そんな現場から十分も歩くと、旧白州邸「武相荘」があります。

GHQとの折衝にあたり「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ政界に強い影響力を持ちながら

生涯在野を貫いた「野人」白州次郎と、

文学、骨董に造詣が深く自分の目で見、足を運んで執筆する行動派「韋駄天お正」こと白州正子。

そんな二人が、農業をしながら自給自足の暮らしをするために選んだ場所が、

ここ町田にある雑木林に包み込まれた茅葺きの民家でした。

ここ「武相荘」の庭の管理を任されたのは、伽藍石を据えたことから信頼され、

白州正子さんから自由な出入りを許された福住豊さん。

庭そのものよりも食卓のテーブルから屋根の葺き替え、

大壺に活ける大枝を切ること、夫妻のお墓まであらゆる雑用を任されたようです。

庭はもともと野原だったところなので、草を抜くのではなく、下草刈りをし、

刈ったものはそのままにしてその上にクヌギやナラの葉が降り積もり、その風情を大事にします。

雑木林にはシャガやホトトギス、キンランやエビネなど多くの野草があり、

その中に灯籠や石塔、石仏などが無造作に何気なく佇んでいます。

今年の五月には、未曾有の災害の後の混迷の中、

あらためて心と心の繋がりが求められるようになる折、

世田谷美術館では、「白州正子 『神と仏、自然への祈り』」が催されました。

国宝だからといって無条件に認めてしまうのではなく、

肩書きや世評にまどわされず、自由な立場でものを眺めたい。

世の中には、国宝でなくてもはるかに美しいものや、愛すべきものや、

面白いものが沢山あるということを忘れて欲しくないという

白州正子さんの虚心坦懐の眼で選ばれたものは、

もちろん国宝もありますが、名も無き美しいものが多数あり、

また、そこに添えられた珠玉の言葉が気持ち良く時間が経つのを忘れました。

京都・高山寺所蔵の「狗児」とも出会うことができましたが、

これは白州正子さんも一冊本をしたためている明恵上人が大切にしていたもの。

明恵上人は、一木一草にも魂が宿るという「草木国土悉皆成仏」の考えから、

派閥も作らず名も無き民の救済のために尽力した人です。

八百万の神に感謝する日本人が昔から持つ心の拠り所を

思い出すことが今こそ大切なのかもしれません。

この展覧会では、それほど有名でないのにも関わらず、見る人の心を静かに、

しかし確実に打つ名品と出会うことができて、そんな名品に一つ一つ触れていくことで、

白州正子さんの胸中にある大きな森に分け入る喜びを感じられました。

庭師の福住さんは、白州正子さんに、

「味覚が分からない人は何をやっても駄目」

「自分で食べてそれが美味しいとか、美味しくないとかそれが判断できなければ

いい庭は作れないわよ」と言われたそうです。

化学調味料の添加された「食べ物」に慣れていると舌が麻痺してしまいがちですが、

美味しさの物指しとは何かと考えると、始めにガツンと刺激がくるものよりも、

噛むほどに味わいのあるものかどうかというところかもしれません。

滋味があって、何よりも後味がいいもの。

庭においても、日々の暮らしの中で、噛み締めて、噛み締めて、

それでも飽きのこない庭。

そんなものをつくってみたいなあと思っています。(T)