» 「美」〜空間の意匠

美しさとは何か

「美」には様々な捉え方があり、定義するのは難しいものがあります。ただ、私達好みの美しさというものはあるような気がします。既成の概念や、誰か偉い人がつけた価値観、専門的な知識がないとわからないような頭で考えるものではなく、五感を通して、私達の心の深いところに、すっと入ってくる感覚、そんなものを大事にしたいと思っています。

「この庭作ったの?」

それでは、私達は、何に「美」を感じるか。まず、作為を感じず、「この庭、作ったの?」と、もともと、その地に佇んでいたような感覚を喚起させることです。花は野にあるように、木は自然林にあるように、たおやかに、しなやかに、さりげなく植栽し、構造物は、虚飾を廃し、既製品はなるべく使わず、何でもないもの、朽ちていくもの、土に還って行くものを大切にします。人も老いて行きます。木も朽ちて行きます。生命あるものは、枯れ、死んで行くことで、次の世代にステージを明け渡し、循環して行くのではないでしょうか。自然の移り変わりに逆らわず、諸行無常に美を感じる死生観を大事にしています。

ものと空間のバランス

さらに、庭作りにおいて欠かせないことは、銘木や銘石など立派なものを使うのではなく、何でもない素朴なものを使い、その、ものと空間のバランスで魅せていくことです。ものは、小さな空間の中で、その置かれ方や、他者との関係性、光の射し加減で全く違った表情を見せてくれます。大事なことは、「良いもの」を集めることではなく、ものとものの「良い関係」を築いて行くことだと思います。

空気感〜空間の佇まい

文章にも行間が、絵や音楽にも余白があるように、庭においても空間が大事です。空間に馴染むかどうか、その空気感や雰囲気から、ぐっと力を感じること、そんなことに、私達は「美」を感じているような気がします。そんな心を突き動かす美しい空気感を大事に、洗練された日常空間を作っていきます。

複雑なものこそ

里山が美しいのは、人と自然が共存していて、曲がりくねった小川や土手、あぜ道などがあるのも一つの理由です。多様性豊かな動植物達が、複雑な風景を生み出しているのです。庭においても、工業的なものや単一の植物を使って、一直線に、同じ間隔で植栽することも一つの方法だと思います。しかし、今まで心を奪われた時のことを思い出すと、そこには、同じテンポではなく、緩急や濃淡、高低のある複雑な景色が、あった気がします。

響き合う人と風景

現代の空間では、とても制約が多いのですが、その制約こそ、私達の創作意欲を刺激します。たった一坪の空間でさえも、その使い方次第で、奥深さを醸し出せる空気感を作り出せます。建物との調和や、植栽のメリハリ、緑の濃淡、花や実の色合いや風合いを吟味することで、人と風景が一つになって響き合います。
ぜひ、そんな風景を味わってみてください。