藤倉造園設計事務所

冴え返る

ここ数日温かい日が続き、梅の花も開きかけましたが、

三寒四温の名の通り、寒さがぶり返し、後ちょっとのところで踏みとどまっています。

古人は、この寒さのぶりかえしのことを、「冴え返る」と美しい言葉で表現したようです。

そんな寒さに耐えかねて、そこから逃れるように、ヤシの木がある地へと行って参りました。

そこは、板橋区立熱帯環境植物館。

清掃工場から出る余熱で暖められています。

マレーシアの民家を再現した小屋の手前にある木は、アブラヤシ。

この木からは、化粧品や洗剤、ポテトチップスやインストタントラーメンなどに使われている

植物油と表記されるパーム油が採れます。

アブラヤシは、熱帯雨林を切り開いて栽培され、

たいていはアブラヤシばかりが単一栽培されるため、

もともとその地で暮らしていた先住民や動物は生活できなくなります。

また、熱帯雨林の伐採は、もともと植林管理された森林からの伐採ではなく、

天然林(ジャングル)からの伐採で、

地球温暖化・気候変動に大きく関わっていると言われています。

アブラヤシは、私たちと生活レベルで関わっていますが、

ウッドデッキなどを作る建築屋さんや私達植木屋も関わっている問題があります。

それが、イペやウリン、セラガンパツの伐採です。

これらはハードウッドや高耐久材とよばれ、近年もてはやされていますが、

その堅さからもわかる通り成長が極めて遅く、直径20㎝になるのに60年かかると言われています。

それがまた高価で取引されるため違法伐採の対象にもなり、

天然林の破壊と自然と共に暮らす人々の生活の破壊、そして地球規模の温暖化を招いています。

せっかく作ったウッドデッキが長持ちして欲しい気持ちはもちろんありますが、

60%以上の森林面積があり世界に誇る持続可能な林業文化がかつてあった日本にいながら、

外国の民の生活を破壊し、石油を浪費して日本まで材木を運んでくることには胸が痛みます。

私達自身の問題として受け止めました。

 

熱帯植物館は自然な感じで再現されていて、とても楽しめたのですが、

それでも、外へ出て、

冬は冬らしく容赦なく吹きすさぶ寒風に揺られている在来種の見慣れた木々を眺めると、

正しい日本の冬を感じて心が落ち着きました。(T)

未来からの「借りもの」

一日のうちで、一番明かりが美しいのは、

夕刻から夜に移行していく時間帯と言われています。

先日完成した吉祥寺の庭では、センサーが反応すると防犯用のライトが点きます。

これは、写真を撮るためにそのライトで草屋根を照らしているのですが、

お月見の時などに草屋根の上のすすきにフォーカスしてみるのも面白いかもしれません。

日本人は、かつて提灯や行灯など暖かい柔らかい明かりの中で暮らしていました。

庭主様は、家の中でも部屋全体を優しい明かりが包み込む

ルイス・ポールセンの間接照明を選ばれているため、

庭でも陰影のある「ほのあかり」を感じられるよう

光を当てる場所を決めるのには時間をかけました。

こだわったことといえば屋根の勾配もあります。

この自転車小屋には道路から草屋根がよく見えるようなという

ポワーンとしたビジョンこそあれ設計図はありませんでした。

現場の状況やハプニングに反応しながら、その場で決めていきます。

そして、この土間にも偶然から産まれた微妙な風合いがあります。

足で踏みしめた後、地鏝(じごて)を使って手作業で一日中叩き続けて仕上げているのですが、

途中、業者さんが残してくれた黒土の足跡を一緒に叩き込むことで、

味のあるグラデーションが生じました。

設計図というものの便利さや重要性を踏まえながらも、

現場で産まれる偶然性に寄り添ってものができていくことの面白さを感じられた現場です。

日本最古の木造建築といわれる法隆寺にも設計図はなかったと言われています。

そんな法隆寺の宮大工である西岡常一さんのドキュメンタリー映画『鬼に訊け』が、

今上映されており、雨の本日やっと見ることができました。

西岡さんは、大工になる前「土を知る」ために、農学校に行かされたそうです。

自然は土を育み、土は木を育てる、その教えの深淵さに身震いし、

遠回りに思える農作業には宮大工に伝わる全ての神髄が含まれていると悟ったそうです。

「法隆寺の棟梁いうても毎日仕事があるわけやない。仕事のないときは農業をやって

食っていたんです。田んぼと畑があればなんとか食っていけます。

ガツガツと金のために仕事せんでもええわけですから」という言葉もパンフレットにありました。

今でこそ、半農半Xと特別のことのようにいわれますが、

かつては、こういうことが当たり前だったようです。

映画を見た後に向かったサティシュ・クマールさんの講演会でも

同じようなメッセージを受け取りました。

西暦ではキリストの生誕を境として紀元前と紀元後と表されますが、

3・11前と3・11後でもとても大きな変化があります。

二年前に聞いた講演会の時からサティシュ・クマールさんは言われていたのですが、

これからの社会は、「soil(土)、soul(心)、society(社会)」だそうです。

「国破れて山河あり」という言葉があるように、戦後は豊かな「土」があったから復興できた。

「水」「空気」「土」など「自然」と切り離されては、人は生きていけませんが、

原発はなくても生きていけます。

石油やウランは日本にはなく有料で戦争の原因でもありますが、

「水」「空気」「土」は日本では特に豊富でどこにでもあって、しかもほぼ無料です。

そして不必要な労働はもうやめて、必要な価値ある仕事だけしようというメッセージも

西岡さんと共通するものでした。

また、植木屋として興味深いこんな逸話も。

仏教を広めたことで知られるインドのアショカ王のお話。

それは全国民に5本の木を植えることを義務づけたという決まり。

1本は食べものになるマンゴーやりんごなどの果樹、

1本はシッソノキなど材木となる木、

1本はニームのような薬効のある木、

1本は椿やジャスミンなど花を咲かせる木、

最後の1本は燃料となる木です。

そして、これらの木は自分の代で伐ってはいけなくて未来の世代のために残します。

地球は「自分たちのもの」ではなく、未来からの「借りもの」であるから、

地球を借りた時より、よい状態にして返すことが責任だという考えです。

植木屋の修行をしているものとして、それ以前に人間としてどう生きるべきか、

深い深いメッセージを受け取った貴重な雨の休日でした。(T)

ぐるぐると

昨年の秋に手掛けさせていただいた武蔵野市吉祥寺の庭の二期工事が終了しました。

今回の仕事は、家族4人分の自転車の置ける駐輪場と裏庭の庭づくり。

二期工事は嬉しいものです。前回の庭の雰囲気と繋げ馴染ます事ができ、敷地の外部空間を

トータル的に庭として無駄なく活かす事を目的として住環境を整えることができます。

最終日、作業が終わったのは西からの日差しが優しい時間でした。

大きな窓と大きな土壁風の壁を持つ外観に木漏れ日が映ります。

季節や時間によって織りなす影も、大きな庭の演出の一部であり見せ所のようです。

ウッドフェンスはリビングからの目隠しの要素で少し高めに設定をしていますが、

角度に変化を付け高低差を付ける事により圧迫感を軽減させ馴染ませています。

植栽もフェンスの前後に配置する事で樹木が重なり合い、フェンスだけでは隠しきれない所を

柔らかく、さり気なく目隠しの役目を補ってくれています。

建築と色を統一する事で違和感なく感じられました。

門の扉を開け玄関に導くアプローチ。

緑のトンネルを抜けて玄関に向かいます。

リビング前の主庭はコナラを中心に空間を広く取り、

ゆったりとくつろげるスペースにしてあります。

そこを抜けると、

山道を思わせる園路と続きます。

写真にはうまく写らないのですが、園路の高低差はかなりあります。

学校や幼稚園から帰ってきた二人の子供と友達達が何周も庭を駆け巡るのですが、

この起伏のある小道を、「ジェットコースターみたいなんだよ」と

息を弾ませながら話してくれました。

そして、水がたまったりする箇所も意図的につくってあります。

わずかな園路ですが楽しいものです。

山道の園路を抜けると裏庭に出ます。

物置のある裏庭はコンポストを中心に構成してあります。

コンポストは廃材でつくった簡単なものですが、

この空間にはラフな感じのものの方があったと思っています。

庭の中は落葉樹の樹木でほぼ構成されているので、

落ち葉を集めていただきコンポストで土に還し肥料として庭に戻していく循環型の裏庭です。

草屋根はやってみたかった仕事のひとつでした。

今回は駐輪場でしたが、物置や屋根付きのテラスなど大きく展開できるアイテムになります。

駐車場奥に設けた駐輪場の骨組みは極力シンプルにしてあります。

屋根の勾配角度の決定に少し悩みましたが、良い角度でうまく収まりました。

屋根は野芝をベースにイチハツやアヤメ、ススキなどを織り交ぜています。

メンテナンスは年一回、年末に刈り込んで整える程度。

将来的には野芝がなくなり雑草で覆われると思いますが、鳥に運ばれてきた種などから

植物が育ち馴染んでくれると面白くなります。

照明もセレクトして取り付けました。現在は40ワットのシャンデリア球が付いています。

あまり明るすぎる電球ではなく、ほのかに明るい程度の方が雰囲気がまします。

屋根とフェンスとの間から見える隣地の竹林も、眼に優しく絵画のように写ります。

作業中から通りがかる方々から声をかけていただきました。

『あの馬小屋みたいな建物はなぁに?』

意識の中になかった馬小屋と言われ、嬉しさがだんだんと込み上げてきました。

 

子供たちが、学校から帰ってきて、家の周りをぐるぐる何周も駆け巡るという

設計の時点で狙っていた事が、実際に行なわれると本当に嬉しくなります。

決して庭の面積としては広くはありません。しかし敷地を無駄なく統一していけば、

かなり庭として有効に生まれ変わり、家と庭の相乗効果で心地の良い暮らしが得られると思います。

 

純粋に庭で子供達が夢中になれる空間になったかどうかは、子供達にしかわかりませんが、

庭を通してさまざまな思い出が刻まれる事を願っています。

お友達がきたり、もう少し大人になっても、庭をぐるぐると駆け巡ってくれると嬉しいですね。

そして、ここでは雑木たちが落とした葉もコンポストで醗酵させ、

毎年ぐるぐると堆肥として庭に還元して循環させることができます。

 

楽しく熱中して打ち込む事ができました。

このような機会を与えていただき、心より感謝いたします。

ありがとうございました。(F)

 

 

 

 

 

やまおやじ

降り積もった雪が流れ出す雨水の頃。

凍てついていた大地も緩みはじめ、潤いを増してきました。

歩くとサクサク音を立てていた落ち葉も、弾力がなくなり土に還る準備に入ってきています。

春に向けて嵐とも呼べる風が多くなり、一雨ごとに暖かくなって、さまざまな命が動き始めます。

そんな雑木林の主役、コナラとクヌギ。

一見、同じような姿で見分けがつきません。しかし、よく見ると幾つもの違いがあります。

秋はドングリなどで違いがはっきりと分かりますが、冬場は幹肌で見分けます。

若木ではなかなかプロでも見分けるのは難しいのですが、

ある程度の成熟した樹木になってくると、幹に縦の筋がはいってきます。

野趣味あふれるその幹肌は美しく、雑木の王様と呼ばれいます。

この木はクヌギ。コナラに比べると色も濃く、縦割れの筋もゴツゴツと荒々しさを感じます。

コナラとクヌギは昔から人の暮らしと共にありました。

薪にしたり炭にしたり、榾木となり椎茸をつくったり。

里山の雑木林には多くの生き物が共存しています。

浅間山でも樹木の更新と林床に光をあて健康な土地を維持していくため、伐採が行なわれています。

再生していく雑木だからこその工程です。

春には新芽が芽吹く10年後には立派な樹木になっていきます。

その雑木を切り出し、薪を暮らしの中で使ってきました。

写真家である今森光彦さんの著書で、『萌木の国』という本があります。

その中に『やまおやじ』と名付けられたクヌギの古木が出てきます。

堂々とした風格を持ち、何代にもわたって受け継がれてきた生きた文化財です。

この浅間山にもスケールは小さいのですが、ちょっぴり似ているやまおやじがいました。

人と共に生き続けている雑木林。幾つもの生き物が良い生態系のもとで過ごしています。

何代も先の人たちにも、この自然は残していかなければなりません。

小さなやまおやじが貫禄を増し、風格ある本物の主になるにはまだまだ時間はかかります。

明るい未来の為に、これ以上自然を破壊するのではなく、

豊かな土地を再生していく努力をしなければいけません。 (F)

春浅し

身の引き締まるような寒さの朝から仕事をしながら、

だんだんとポカポカしてくるのを感じていると、

お天道様のありがたさが身に沁みます。

ジャンパーもいらなくなった昼休み、

浅春の便りを探しに浅間山に赴きました。

コナラもクヌギも全て葉っぱを落とし、とても見晴らしのいい浅き春の浅間山です。

幹だけになった雑木達の線の美しさに見とれ、

その幹越しには、どこまでも冴え渡る青空と白い雲を望めます。

とても爽快な雑木林の中で、最高のお昼時を過ごし、

午後からはますます気分良く、自転車小屋の材料を刻みます。

一本一本丹念に刻み終わるとすぐにでも組み立てたくなるもので、

棟木から軒桁に垂木を渡してみました。

ごくごく簡単な刻みの木組みですが、陽だまりの中で、

こうしてピタッと収まってくれるととても気持ちが良くほっとします。

草屋根を乗せるため頑丈にと考えて作っている躯体のパーツがだいたい揃いました。

どんな小屋になるのかわくわくしながら、一手ずつ丁寧に進めています。(T)

草屋根

立川での今年最初の庭作りは、雪かきから始まり、

留守番でしっかりと家を守るワンチャンの好奇心旺盛な視線を受けながら、

無事に終了しました。

次の現場へ向かう前に、材料の調達と心をニュートラルに戻すことを目的に、

一度、山梨県上野原市の陶陽庭で一時を過ごします。

上野原インターを降りて、陶陽庭へと向かう途中には、

大きなケヤキの木があり、そこには20を越すヤドリギが寄生しています。

望遠レンズでズームアップすると、新酒ができた時に古くからの酒屋さんで見かけるような、

こんな姿が捉えられました。

これは実は付けていないのかもしれませんが、

先日、ある花屋さんでは、ヤドリギの実として、

こんなものが売られていました。

陶陽庭の下を流れる川には、降雪から一週間以上経っていますが、

これだけ雪が残っていました。

陽当たりのいい場所では、今年最初のフキノトウも収穫できて、

出始めでまだ苦みが多く、それだけに格別に美味しい野生の味をいただけました。

この地で、原点に還り、また次なる庭作りへと準備を進めます。

次の現場は、昨年10月に主庭が完成した吉祥寺の庭で、

駐車場奥に自転車小屋を作ります。

まだ小学生の頃に、『独りだけのウイルダーネス』という本を見て、

その作者の生き様と、

彼がアラスカの地でセルフビルドで作った草屋根の小屋に魅せられ、

父の教えを請いながら、草屋根を乗せたミニチュアのログハウスを作ったことがあり、

それは今でも大切にとってあります。

本に載っていた写真を、よくよく観察して構造を考え、

木を一本一本削って組み合わせ、窓枠はマッチ棒で作り、

屋根には本当の芝生の葉っぱを乗せてあります。

人生に暗中模索し、旅を続けていた頃も、

各地で日本古来の芝棟や海外が起源の草屋根を目にしてきました。

そして、次の現場では、修行中の身ながら、

20年来思い焦がれてきた草屋根を、

実物大で作ることに携わることができます。

そんなチャンスをくださったお客様に感謝をすると共に、

ただ草屋根を作ったというだけでなく、

美しい庭という風景の中にさりげなく馴染む美しい草屋根の自転車小屋作りで、

その一助となれるよう気持ちを引き締めているところです。(T)

結い

現場近くにある立川の古民家で、茅葺きの修復をしていると聞きつけ訪れました。

先日、日本庭園協会東京都支部主催の安藤邦廣氏の講演会で、

『里山に学ぶ茅葺きの話』を聞き、今まで以上に茅葺きが身近に感じられるようになりました。

残していかなければいけない屋根であり、日本の風景です。

 

その作業をなさっている人はどんな人だろう?

年配のおじいさんかなと思いましたが、なんと若手の方が先頭になって纏めていました。

今回の作業は北側と東側の葺き替えです。

日本は湿気が多い為、苔などが乗りやすく北側の茅の方が痛みやすく、

逆に海外(イギリスなど)は紫外線が強い為、南側の屋根の方が痛みます。

 

葺き替えの作業はおおかた終わり、仕上げの作業、刈り込みばさみで茅を切りそろえていきます。

現場は立ち入り禁止でしたが、職人の方とお話がしたい思いと間近で見たい気持ちが先立ち、

屋根まで上がっていくと快くお話をしていただけました。

親方は若い大工さんです。

何年か前から、残さなければいけない作業だと思い、茅葺きの修業に出たそうです。

『まだまだ私の仕事は写真に写す価値はありませんよ』と謙遜して笑顔を見せます。

シャイで男気あふれるその姿は、未来に大きな希望を見た気持ちになりました。

茅葺きの刈り込み鋏は、造園の刈り込み鋏とは違い、分厚く、かなり刃先が曲がっています。

屋根が急勾配であるために角度がつけられています。

棟の模様は関東に多い「イチョウッパ』といい、イチョウの葉の形に刻んであります。

この棟仕舞い の仕方で、地方独自の工夫や特色が現れます。

『せっかくだから富士山見て行きなよ』と茅葺きの上までのぼらせてくれました。

登ってみると屋根は厚みがあるため弾力があり、下から眺めていた以上に勾配は急でした。

昔は同じような茅葺きの民家が見渡す限りに点在して、自然と人が良い関係で繋がり

風景も美しかったのだろうなぁと、富士を眺めながら思いました。

この自然の恵みを上手に利用し、先人達が残してくれた技術を何とか残していく為に

行動していく若い人たちも全国で増えてきているそうです。

私たちの仕事も、自然と向き合い、美しく風景を整えていくこと。

自然と良い関係で循環している茅葺きは、大きな大きなヒントになります。

技術的にも、造園は茅葺きの作業と共通することが多くあります。

植木屋として協力していかねばならない使命感が沸き上がってきました。

 

同じ職人として、良い刺激をいただきました。

突然の訪問にも関わらず、良いお話をありがとうございました。(F)

 

柔らかな陽のなかで

今年初めての庭づくりが終盤を向かえています。

大雪のあとは天候にも恵まれ、スムーズに仕事が捗りました。

昨年の今頃に依頼を受けましたが、作業の段取りの状況などから、

1年後に着工という形を取らせていただいたお庭です。

キャンプや盆栽など多趣味な庭主様は、

写真奥に見える物置にあるアウトドア用品の出し入れを頻繁に行なうため、

物置までの動線の確保することと、陽当たりが良好なリビングの前に雑木を植え、

木陰をつくり夏の日差しを和らげる効果を望まれていました。

庭面積としては決して広くはありませんが、多種の雑木が入っています。

背が高く、しなやかな雑木が入ることで、圧迫感はなく庭に広がりをみせます。

新緑や紅葉はもちろん綺麗であると信じていまが、夏の暑さを樹木達によって

軽減できることを実感していただけたら嬉しいことです。

穏やかな冬の日、西日が柔らかく差し込み、光が美しく、

庭の完成を祝福してくれたように感じました。

庭は完成からがスタートです。

年々美しく、心地よく暮らせるように見守っていきたいと思います。

笑顔で向かえてくれた近隣の皆様、

長い期間お待ちいただいた庭主様、心より感謝いたします。

ありがとうございました。(F)

 

 

 

 

 

 

雪化粧

大人になっても雪が降ると本当にわくわくして、今回はどのくらい積もるかなと

何度も窓の外を眺めてしまいます。

今日くらい積もると、土をいじる庭作りはできなくなってしまいますが、

そんな雪が積もった日には、絶対行きたいと思っている場所が都内にも何カ所かあり、

この目黒の自然教育園もその一つ。

もともとは高松藩主の下屋敷であった場所ですが、明治になって陸海軍の火薬庫となったり、

宮内省白金御料地となった後、自然教育を目的として、自然の移りゆくまま、

できる限り自然本来の形に近い状態で残したいと人の手を加えることなく維持されています。

風倒木がそのままにされていたり、木道のある湿原があったりと

普段から山っぽさを存分に感じられるのですが、一面雪に覆い尽くされ、

木々に積もった雪が朝日に照らされキラキラしながら、ポタポタと落ちていく様を

全身で感じているとより一層の野趣を味わえます。

雪が溶けてしまうのが心配で、9時の開園時間がもどかしかったのですが、

同じように都内の雪景色を待ち遠しく思っていた楽しい大人達がカメラを携えて、

嬉々として集まってくる光景は、とてもあたたかいものに思えました。

光が徐々に強まり、気温がだんだんと上がっていくにつれ、

刻一刻と変奏していく風景は見飽きないのですが、他にも行きたい場所はあり、

後ろ髪を引かれながら次の場所へ向かいます。

六義園です。雪吊りで化粧された松と藁の防寒着を着た植物達が、

その衣装が似合う雪という最高の演出でとても輝いています。

こんな小さな三人家族もしっかりと守られていました。

はしごも三件目になると雪もすっかり溶けてきてしまいました。

旧古河庭園の小川治兵衛の作った庭園から、ジョサイア・コンドルの設計した洋館を望みます。

雪囲いをしなければ春まで咲かないボタンも、

こうすることによって雪の中で楽しむことができます。

自然のあるがままに任された森も、丹念に人の手を入れて愛されている庭園も、

雪化粧という自然の造形で、どちらもますます輝きを増していました。(T)

三寒四温


一年で一番寒い時期、大寒を向かえます。

東京では一ヶ月以上雨がなく、乾燥注意報が連日続き、手のあかぎれもいっこうに治りません。

朝晩の冷たい風にあたると身も心も縮み上がります。

そんな中、手入れの作業も一段落して、植栽の準備に取りかかりました。

畑の中は冷えた地面が凍りつき、霜柱で押し上げられた地面を歩くとサクサクと音を立てます。

土の道を歩くことが少なくなったせいか、霜柱に陽が当たり、

土の隙間からキラキラ氷が光る光景も、今ではなかなか見ることもできなくなってきました。

落葉樹の移植は葉の落ちている時期が一番良しとされています。

休眠期であるため多少の無理もでき、安心して動かすことができます。

ですが、ここまで乾燥すると土の中もパサパサで、土が溢れやすく、

根鉢も慎重に掘り取りを行なわないと樹木を傷めてしまいます。

2年後3年後に樹木の成長として差が出てくるので、決して手は抜けません。

いつ動かしても大丈夫なように、根っこを作っていく、

根回しをしていくことは造園の大事な工程です。

 

一晩明けて窓の外を見てみると、辺りは一面の雪景色。

雪はやはり嬉しくなるものです。

乾燥していた空気をしっとりと潤いで満たしてくれました。

畑にも良いお湿りになっています。

寒さは厳しく、外仕事をしている私たちにはちょっぴり辛いのですが、

寒い時期があるからこそ、春が待ち遠しく、心も弾んでくるのでしょう。

寒暖を繰り返しながら春に向かうこの時期に、

陽だまりの中に身を置くと不思議と心が落ち着きます。

ゆっくりと時間が過ぎていくような気にさせてくれる陽だまりが、

住まいの暮らしの中でごく自然に触れあえたら好いものです。

寒さから学ぶことも限りなくあります。

多くのことを学べるよう、感じられるよう、研ぎすましていきたいものです。(F)