藤倉造園設計事務所

よりどり実どり

田舎へ行っても東京へ戻ってきても森林浴がしたくなります。

目黒の自然教育園はとても都心とは思えない深い森があり、荒れている近山へ行くよりも

満足感を得られます。

そこへ向かう道中の花屋さんで、ヤドリギの実を発見しました。

ケヤキなどの落葉樹に冬になると大きな鳥の巣のような物体を観察できることがあり、

その存在は知っていたのですが、こんな実をつけるとは驚きです。

自然教育園の中へ入ってもいろいろな実を見つけることができます。

ムサシアブミ。

サネカズラ。

そしてひときわ眼を引いたのは、このイイギリの多さでした。

大正二年にスタートした明治神宮の造営計画では、多数の造営候補地が挙げられました。

富士山、筑波山、箱根、御岳山、飯能などの他に

この自然教育園の前身・白金火薬庫もありましたが、

常緑樹を主とする荘厳な森をつくる方針から、落葉樹の多いここは外れたのでした。

とはいえ、関係は深く明治神宮を作るために、ここ白金火薬庫からは、

クロマツ、スダジイ、アカガシ、イロハモミジなど合計500本以上の樹木が移植されました。

一枚前の写真にカラスが多く写っているのが確認できるでしょうか。

そのカラスが落としたイイギリの実が、薄氷の上にポツンと落ちていました。

60年前、この森の階層は、高層にマツやモミの針葉樹、中層に落葉広葉樹、

下層に常緑広葉樹という構成になっていました。

それが、大気汚染などに弱い針葉樹が弱まり、そこにできた空間に、

陽樹で成長の早いイイギリのような木が増えています。

これからは、さらに常緑広葉樹へと遷移して、安定した極相へと向かいつつあるようです。

凛とした空気が心地良い朝から、ポカポカした日中を過ぎて、

凍った水面に西陽が反射して、枯れすすきを照らす時間になるとぐっと温度が下がってきます。

いつまでもいたい樹林から、ようやく落ち葉を踏みしめて家路へと向かうのですが、

この冷え込みが、住処の温もりを一層引き立ててくれます。(T)

水の如く

ここは茨城県日立市の助川山の山頂から見た日立市の市街と太平洋の様子です。

時には猛り狂うこともある大海ですが、いつも私たちに海の恩恵を届けてくれるのもこの大海。

今年の正月も穏やかに穏やかに新たな年への抱負を胸に気持ちを新たにする心を

包み込んでくれました。

豊かな海を支えるためには、海へと注ぐ川の水源がある山が豊かであることも重要なことです。

海から40分も車で走り、御岩神社から御岩山へと登ります。

頂上近くには奇岩怪石があり、ロッククライミングの練習場にもなっていたり、

田中澄江さんの「花の百名山」にも紹介されるイワバカマやショウジョウバカマが

春先には咲きます。

その少し下に御岩神社奥の院は、佇んでいます。

杉木立に囲まれ厳かな雰囲気です。

続いて詣でたのは、浄蓮寺渓谷にある浄蓮寺。

茅葺きの屋根に描かれた曲線がとても美しく見とれてしまいます。

この浄蓮寺は一体の山と渓谷も擁しているため、植林されて杉林になることもなく、

林床に光が差し込む豊かな照葉樹林となっていて、その中に三十三体観音像が鎮座しています。

十一面観音や馬頭観音、如意輪観音、千手観音など、どの観音様も暖かい眼差しで、

未熟な我が身を迎えてくれます。

さらに北へ行くと花園神社があります。

こちらにも幾星霜を経てきたのかと途方に暮れる杉の大木やコウヤマキの大木がそびえています。

参拝客で賑わう花園神社から、渓谷を遡っていくと奥の院の少し手前に七つ滝はあります。

写真にはその迫力を写し取ることはできなかったのですが、圧倒されるものがあります。

あと少し行けば福島県というだけあって川も凍っています。

雨や雪が降って樹木にかかり、それが滴り落ちて土に染み込み、

湧き出たものが川となり海へと注ぎ、それがまた蒸発し、水としての輪廻転生を繰り返します。

水五訓というものもありますが、水は自ら活動して他を動かし、

常に己の進路を求めて止まらざるもの。

自然の摂理に従いながら、しなやかにたおやかに己の姿を変えながら流れていきます。

明鏡止水という言葉通り心を穏やかにしなければ真実も見つめられません。

これから始まる新しい一年、水の如く生きたいものです。(T)

先を見据えて

毎年の家族行事となっている明治神宮の初詣に今年も訪れました。

神宮苑内に入ると心が浄化され、穏やかに、清らかになるように感じます。

明治神宮は、『永遠の森』を目指し大正4年から造営工事が始まり、

全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まりました。

当時、365種でしたが、東京の気候風土、生態系的ににそぐわない樹種もあり

現在では246種、17万本もの木々が豊かに生い茂っています。

 

わずか半世紀で自然の状態にもどったこの森は、何を植えたら立派に育つか、

100年後の自然の状態を見据えて当時の学者たちが考えました。

伊勢神宮や日光東照宮にある、杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいましたが、

杉が都会に適さないこと、東京は公害が進み苑内の大木や老木が次々と枯れていったことにより、

実現しませんでした。

そのため、100年先を見据えた神宮は、照葉樹でなければ育たないことを

当時の首相であった大隈重信らに説明し、

主にシイ、カシ、クスなどの照葉樹を植えることで決定したのです。

 

人の手を離れても美しさを保ち続け、生き生きと豊かに茂るこの森から

学ぶことは山ほどあります。

適度に林床に光りが差し込み、良い状態で生態系が保たれ、

多くの生物が共存している都会のオアシスを、先人たちが見据えて成し遂げてきたました。

私たちも先を見据えて豊かで美しく、

多くの生物が共存できる空間づくりに努力をしていかねばなりません。

 

『永遠の森』が増え、人と自然が上手に心豊かに共存できる社会でありたいと願うばかりです。 (F)

 

 

 

 

一歩前に踏み出せる年へ


新年あけましておめでとうございます。

新しい年を迎え、気分新たに、一歩前に踏み出せるように行動したいと思います。

住まいの暮らしの庭から、心地よい環境を少しでも多く整えて、

小さな空気の波動が広がっていくことができるように取り組んで行きたいと思います。

新年の挨拶は幾度となく登場している浅間山からにいたしました。

私の原点の雑木林であります。

原風景として心に刻み込まれたこの浅間山は、

四季や時間帯、陽光の当たり方などで様々な表情を見せてくれます。

散歩で訪れるたびに新しい発見や清々しい気持ちをもらえます。

 

小さな悩みが解決するたびに新たな悩みがやってきますが、

地球の自然と時間が創り出してきた雄大な空間に身を置くと、心が豊かになり

悩みなどすっ飛んでいきます。

 

そんな力があり、心の豊かになる空間づくりが、

暮らしの生活の中から生まれていけば嬉しいことです。

 

自然のサイクルは、新緑の芽を出し、紅葉して、葉を落とし土に還ります。

その土を栄養として来年新たな芽を出していきます。

幹は年々太く大きくなり、陽があたる方向や広い空間に勢い良く伸びて生き抜いていきます。

 

人も同じで、生まれて老いて土に還っていきます。

私たちも大自然のサイクルの中では1年分の葉っぱに過ぎません。

人も未来に希望があり明るく生き抜いていかなければ楽しくはないでしょう。

私たちも未来に栄養として繋げられるものを残し、

力強く生き抜いていく為の方向性を見極めていかなければいけません。

昨年40歳を迎え人生の折り返し地点にたちました。

これからの造園人生、責任をもちながら着実に一歩一歩前に踏み出し、

歩んでいきたいと思いました。

 

本年もどうぞよろしくお願い致します。(F)

仕事納め


2011年の仕事納めは6年前に施工した(T)さんの庭です。

常日頃から庭のことを大事に思い、愛情を込めて庭と向き合っている(T)さんの庭は

雑木達も健康に育ち、良い生態系が保たれています。

葉を落とした雑木の庭も良いもので、幹の肌の色や樹木の傾きを見ているだけでも

新緑や紅葉に負けない見所のひとつです。

春先まで落葉樹の葉はありません。

毎日眺める住宅の庭で、冬の4ヶ月間を楽しく飽きがこないようにするには空間取りを含め、

雰囲気づくりに徹していかないと難しいようです。

冬の庭はごまかしは効きません。

植木屋としての課題のひとつであり、冬の庭こそ見応えのある空間にしたいものです。


写真奥に見える小屋は物置と駐輪場になっています。

毎日のように通学や買い物などで自転車を出し入れする為、

庭の面積からすると少し広めの園路を設けましたが、

雑木達も成長をする中でボリューム感を増し、

今となってはちょうど良い広さの園路として馴染んできました。


駐輪場への道すがらは三和土です。

関東の赤土をベースに石灰とにがりを混ぜ合わせて叩き込む工法は、

自然素材のため、コンクリートと違い年を増すごとに状態が良くなっていきます。

当時、近所の豆腐屋さんから分けていただいたにがりを、手の力で叩き込んだ土は、

時間とともに硬化していきました。

多少の凹凸はありますが、苔に覆われてきた三和土は、

赤土の優しい色で違和感なく庭に同化して雰囲気を明るくしてくれています。

陽当たり良好であったこの住宅も、4年前から隣地に大きなマンションが建ち、

冬の間はなかなか陽の差し込む時間が少なくなりました。

当初下草で植えていたミヤコワスレやアヤメなど、

花を楽しむ下草の勢いが少し弱くなってきた植物はありますが、

わずかに陽の当たる箇所に種を飛ばし命を繋げている植物の生命力にとても力を貰います。

 

樹木をはじめ、命ある植物には計り知れない力があります。

人の心を和ませ、幸せな気持ちにさせてくれる植物を

もっと理解して最大限活かしていく努力を重ねていかねばならないでしょう。

 

今年は震災や台風といった自然の脅威を改めて知った1年でした。

自然とは時に鋭く牙を剥き、恐ろしいものですが、

同時に感動でき優しい気持ちになれるのも自然です。

 

私たちの仕事は、住宅にみどりを植えて住む方々に居心地良く暮らしていただけるように

住環境として空間を整えていくことです。

大自然のように雄大な雰囲気づくりは難しいですが、居心地が良く、自然を肌で感じられ、

ちょっぴり感動のできる庭づくりを続けられるように駆け抜けていきたいと思います。

 

庭主様たちをはじめこの1年、たくさんの方々にお世話になりました。

心より感謝申し上げます。

来年もどうぞよろしくお願い致します。(F)

 

 

 

 

 

 

 

 

悠久の時の流れ

山梨県上野原市の陶陽庭では、多くの草木が休眠状態に入り、

寒さに耐えながら、春への準備をしています。

そんな寂しい季節にも、この花はクリスマスの頃になると咲いてくれて、

遠くから響いてくる何かを聞こうとするかのように小首を傾げています。

花に見える部分は、実はがく片でそのまま残るため長い期間鑑賞することができます。

四季折々、その姿を変化させて私たちを楽しませてくれる草木の中で、

変わることなく静かに佇んでいるのは、この陶陽庭ができて間もない頃に、

吉祥寺のお客様の庭から譲り受けてきた石灯籠です。

そこに刻んである文字を読むと、

奉献 石灯籠
武州東叡山 ←上野寛永寺
大猷院殿 尊前 ←徳川家光の墓前に奉納

慶安四年極月二十日 ←家光が亡くなったのは慶安四年四月二十日。その年の極月(十二月)
秋元越中守富朝

とあります。

この秋元富朝(とみとも)は、いまの山梨県都留市のあたりにあった甲斐谷村藩の当主で、

その業績は、富士山の積雪が解けて発生する濁流「雪代」から田畑を守るため、

信州からアカマツ3万本を取り寄せて植林したこととされています。

約350年前に谷村城主から、家光の墓前・上野寛永寺に送られ、

いつしか吉祥寺へとやってきて、さらに様々な縁が重なって、

ここ陶陽庭へとやってきたこの石灯籠。

その送り手の残した仕事が、私たちと同じ木を植える仕事であったということに、

深い因縁を感じずにはおられません。

このアカマツ林は、今も富士山吉田口登山道の一部を、

諏訪森国有林として担っていますが、ここでもご多分に漏れず

マツノザイセンチュウの脅威にさらされています。

以前からマツの大木の幹に穴をあけて、農薬の樹幹注入で対症療法を施す

方法を試みられていましたが、環境の変化や森林の遷移の中で、

それは一時しのぎにしか過ぎず、管理をしている林野庁山梨森林管理事務所でも、

これからの対策を検討しているようです。

ナラ枯れやマツ枯れは全国的に深刻な問題となっていますが、

森は、気の遠くなるような時の流れの中で、次の森のために土壌を用意して、

少しずつ動いています。

それは森林生態学的に見ると、常緑広葉樹への遷移となるようです。

悠久の時の流れの中で、

誕生、死、再生という無窮のサイクルが繰り返され、

そのほんの一瞬を生きているにすぎない私たちにできることは、

豆粒ほどの微々たることですが、希望を持って、良き想いを抱いて、

日常茶飯を大切にすることしかないのだなあと思う年末です。(T)

 

駐輪場の庭7年目の手入れ

10月から休みもなく手入れに追われる日々も、終盤を迎え先が見えたので、

精神的にゆとりが出てきました。

そんな中、竣工してから7年の時を経た雑木の庭の手入れに訪れました。

小さい庭ながらも雰囲気を増してきて、来るたびに喜びを感じます。

とくに7年間、消毒などせずとも健康に育っている木々たちのことを何よりも嬉しく思います。

設計した時のイメージを超え、小さなウッドフェンスの仕切りで囲ったことにより

逆に広さを感じられるということを確認でき、大きな収穫のできた庭でもあります。

師走の終盤にも関わらず、美しい紅葉をしているコナラを始め、

モミジやアオダモなども健やかに育っています。

そんな樹木の本来の成長のあり方を尊重して、

決して押さえつける手入れはせずに、のびのびと育った樹木たちの成長に、

私達は自然を感じ、喜びを感じているのです。

作庭当初、小学2年生で庭づくりを興味津々に眺め、笑顔の可愛かった小さな男の子も、

中学3年生になりたくましい青年になっています。

声変わりもして私達に会うことも恥ずかしそうにしていましたが、

話してみると笑顔は当時のまんま可愛い笑顔でした。

樹木も人間と同じ、押さえつけると反発して良い方向にはいきません。

上手にその個性を生かしていくように、

バランス良く手を加えて良さを引き出していかねばなりません。

小さい敷地ながらも家族4人分の駐輪場を確保しなければならなかったため、

敷地の半分以上が駐輪場ですが、小さなスペースほど雑木の特徴が生かされます。

敷地に対し広い駐輪場がネックでありましたが、居心地のよい空間を保っています。

家族の成長と共に、年々、庭も雰囲気を増していきます。

そんな庭の木々の変化から四季を感じて、そこでの日々の暮らしから、

感受性豊かな心に響いていくものが少しでもあれば幸いです。(F)

野蚕

山梨県上野原市の陶陽庭でも、

遅ればせながら、やっと冬が到来し、落葉樹達はその葉をほとんど落とし、

冬枯れの木立の中で、幹を楽しむ季節になりました。

そんな中、モミジの枝に、美しい黄緑色の繭が二つぶら下がっていました。

家に帰って、それが何の虫なのか調べてみたところ、

ウスタビガという野蚕でした。

ヤママユのように全国の野山で自然の状態で生息している蚕は天蚕と総称されていますが、

このウスタビガも天蚕に分類されることもあるようです。

写真から、枝と繭をつないでいる柄がわかるでしょうか。

これは、ウスタビガが自らの糸で作ったもので、

もったいないから引っ張ったりはしていないのですが、

ものの本によると、大人の力でもなかなかとれないそうです。

日本では古来から、いろいろな色の微妙なグラデーションを繊細に分別して、

名前を付けてきました。

この繭の色は、若草色とも萌葱色とも柳色とも似ていて、

どれに当てはまるのかはわかりませんが、

とにもかくにも、その天然色が絶妙に素晴らしく見とれてしまう初冬の昼下がりでした。(T)

里山に学ぶ茅葺きの話

※安藤邦廣「里山に学ぶ茅葺きの話」講演会参加募集中

※本日(12月21日)発売の雑誌「住む。」にも安藤邦廣さんの記事がでています。

タイトルは、『森に暮らす、板倉の家。』

「敷地の木々で建てる」「循環する暮らし」です。

安藤邦廣さん設計の板倉の家と共に、庭にあるバイオトイレや生ゴミコンポストの活用で、

小さな循環のある持続可能な暮らしを実践されているご家族のお話です。(T)

 

 

来年の1月22日(日)に日本庭園協会東京都支部による講演会が行われます。

講師は、筑波大学芸術学系教授であり、日本茅葺き文化協会などの代表理事を

兼任なさっている安藤邦廣氏。

建築家であり、民家や日本の建築文化を研究されている第一人者の方です。

 

テーマは「里山に学ぶ茅葺きの話」

自然と共生する循環型社会の構築が求められる今、草で作る「茅葺き」、

ヒノキの樹皮を重ねる「檜皮葺」、薄く割った板を重ねる「杮葺き」を中心とした

植物素材の屋根がどのような材料と技術で葺かれているのか。

山の木を育て、伐採し、屋根材料へと加工され、屋根を葺く過程には、

様々な職人の技が集約されています。

こうしてできた柔らかな曲線を持つ屋根は、里山の風景や

社寺、茶室や庭門などの景観を作り上げてきました。

それが今日、農業の衰退とともに急速に姿を消しつつあります。

土地の恵みを最大限に生かし、自然を素直に受け止めて暮らしてきた先人達の

知恵と工夫を、改めてもう一度考える時期なのではないでしょうか?

 

この講演会を通して、ただ過去を振り返るだけではなく、先人達のメッセージから

各自が未来に繋がる大きなヒントを感じていただければ幸いです。

多くの方々の参加を歓迎いたします。(F)

 

概要

・日時   平成24年1月22日(日)

・講師   安藤邦廣氏 筑波大学芸術学系教授

・テーマ  「里山に学ぶ茅葺きの話」

・場所   日本女子大 桜楓会館2号館 東京都文京区目白2−8−1 03−3942−6090

・時間   講演会14時〜16時  懇親会16時半〜18時半  受付13時より

・会費   講演会 会員3000円  非会員4000円  学生1000円

親睦会 会員・非会員・学生とも4000円

・申し込み 高田宏臣 (高田造園設計事務所) info@takadazouen.com

藤倉陽一 (藤倉造園設計事務所) fujikura.info@gmail.com


東京都町田市・武相荘

雑木林からの贈り物

先日訪れた町田の武相荘では、玄関前の壷にイイギリの枝が投げ入れられていました。

その赤い実からナンテンギリともいわれるこの木の風情がとても季節感があって、

雰囲気が良かったので、我が家でもやってみようと思い私も雑木林から一枝失敬してきました。

しかし、狭い家の中には、そんな大きな壷もなく大きな枝を入れるスペースもなく

思案に暮れていました。

数日後、仕事から帰ると、小さなスペースに収まるように、

フジの蔓にゴールドクレストの葉をさしたリースの中で、

真っ赤なイイギリの実は、輝ける場所を見つけ満足気でした。

こちらも赤い実ですが、同じく雑木林からいただいてきたサンキライ(山帰来)の実です。

楽しい植物の宝庫・雑木林でとってきたものを季節感を出して飾って、

クリスマスソングの流れる家に帰ってくると、とてもうきうきした気分になります。

指折り数えていた聖夜も、もう片手で十分なくらい近づいてきました。

サンタさんは、今年はどんな希望をプレゼントしてくれるのでしょうか。(T)