藤倉造園設計事務所

白樺、青空

小さな頃からよく白樺と唐松の林の中にあるキャンプ場に連れて行ってもらいました。

ここは、枝も沢山落ちていて、それを拾い集めることから始まって、背負子に積み、

山ほど集めた薪を盛大に燃やして、朝まで楽しむことができました。

白樺の皮は、油分が多く火を熾すのにとても都合のいいことを覚えると共に、

ぐるりと一周皮を剥いてしまうと木を弱らせてしまうという戒めも共に学んだのでした。

北海道では、花粉症の原因として嫌われることもあるようですが、

お客様の中でも白い幹の美しい白樺に憧れる方は多くおられ、今日の現場でも、

藤倉造園の先代の社長が植えた白樺がとても伸び伸びと育っています。

もともと成長の早い木が、従来の寒冷な地より温暖な東京ではますます成長が早く、

限られた敷地の庭では、何かしら切られてしまうことがほとんどです。

しかし、この木は、切られることに弱く、

そこから虫が入ったりして衰弱していくケースが多々あります。

秋から落とされる種の量も半端ではなく、庭にはどっさりと種が積もっています。

そんな白樺も、この現場では、お客様の理解と広い敷地の真ん中に植えられたことが功を奏して、

隣家にも比較的迷惑をかけることなく、今日まで30年間伸び伸びと育ってきています。

今日は、手入れの最中、青空に映える白樺があまりにも美しく思わず写真に収めました。(T)

 

今日の浅間山

このブログにも何度か登場している浅間山。

そこは、藤倉造園設計事務所から歩いて数分のところにあります。

ありがたいことに事務所近辺でも、手入れを依頼してくださるお客様が多数おられ、

そちらの手入れの日の昼休みには必ずここを訪れます。

在りし日の武蔵野の風景を留めるここ浅間山は、

コナラやクヌギの高木の下にヤマコウバシやムラサキシキブなどの中木が、

伸び伸びと育っていて、感慨に浸れます。

現場へ向かう車中でも、こんな雑木林が一面に広がっている風景を見てみたかったな〜という

会話が幾度となくありました。

「落葉」などの名作を残した日本画家・菱田春草は、

その作品を代々木で描いたといわれていますが、

そんな風景が、ず〜っと広がっていたようです。

私達が庭で再現しようとしている風景も、武蔵野の雑木林であり、

そのためにも、ここ浅間山の佇まいを、ことあるごとに胸に刻むことは、

とても大切なことです。

数少なく残された武蔵野の風景を身近に体験できる幸運に感謝しつつ、

四季折々の風情を感じています。

今日は、その中の晩秋の風景を写真に収めてみました。(T)

新しい故郷

私達にとって庭づくりをさせてもらった現場は様々な思い入れがあり、

引き渡しの時は寂しく、まるで娘を嫁に出すような複雑な気持ちに包まれます。

ここ町田市鶴川の現場は、以前のホームページを開設して初めての依頼で庭づくりに繋がった、

私にとって記念すべき庭です。

庭主様の故郷、九州より庭石を運び込み、変わらぬルーツを残し、

関東の武蔵野の風景を加えて新しい故郷を作りたいとの依頼でありました。

7年前に竣工をした庭は、時と共に良い環境が保たれ、雰囲気を増しています。

木々達もようやく土地に馴染んできたようで、、力強さを増してきた印象を受けました。

今年はあまり期待していなかった紅葉も素晴らしく、色鮮やかに眼を楽しませてくれます。

手入れをして照葉が落ち、色鮮やかな林床を掃いて掃除をしてしまうのが

ちょっと惜しい気持ちになりつつも、手箒で林床を清めていきます。

ただ、漠然と掃除をするのではなく、つくばい回りの石の組み方や下草の植え方など、

気にしていく所は数多くあります。

当時はこのように石を組んだのか〜など、自分の目線を下げることでしか

眼に入らないことから学ぶことも大切な仕事です。

陽が差し込み建築に樹木の影が映り、林床に木漏れ日が踊る姿は良いものです。

手の入れ方次第で大きく雰囲気が変わってしまうことを肝に命じて仕事をせねばなりません。

故郷の九州の庭はもうありませんが、7年目を迎え貫禄を増し、

ようやく新しい故郷として九州の庭と肩を並べるぐらいの雰囲気になってきています。

雑木達の成長を尊重しつつもバランス良く、自然に逆らわない手法で、

年々雰囲気を増し、いつまでも眺めていたい景色へと続いていけるよう

見守っていきたいと思います。(F)

 

 

 

噛み締めてこそ

今日の現場は、東京都町田市。

今年の紅葉は、いまひとつで残念な思いがあったのですが、

ここは違いました。

一日手入れで現場にいると同じ景色でも、刻一刻と光が変わり、

それによって樹々の葉の色も変わり、風によって葉の姿が変わってとてもきれいです。

澄んだ空気の中で、微妙な色調の重なりを目で楽しみ、

風で葉が揺れ落葉する微かな音を耳で楽しめます。

そんな現場から十分も歩くと、旧白州邸「武相荘」があります。

GHQとの折衝にあたり「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ政界に強い影響力を持ちながら

生涯在野を貫いた「野人」白州次郎と、

文学、骨董に造詣が深く自分の目で見、足を運んで執筆する行動派「韋駄天お正」こと白州正子。

そんな二人が、農業をしながら自給自足の暮らしをするために選んだ場所が、

ここ町田にある雑木林に包み込まれた茅葺きの民家でした。

ここ「武相荘」の庭の管理を任されたのは、伽藍石を据えたことから信頼され、

白州正子さんから自由な出入りを許された福住豊さん。

庭そのものよりも食卓のテーブルから屋根の葺き替え、

大壺に活ける大枝を切ること、夫妻のお墓まであらゆる雑用を任されたようです。

庭はもともと野原だったところなので、草を抜くのではなく、下草刈りをし、

刈ったものはそのままにしてその上にクヌギやナラの葉が降り積もり、その風情を大事にします。

雑木林にはシャガやホトトギス、キンランやエビネなど多くの野草があり、

その中に灯籠や石塔、石仏などが無造作に何気なく佇んでいます。

今年の五月には、未曾有の災害の後の混迷の中、

あらためて心と心の繋がりが求められるようになる折、

世田谷美術館では、「白州正子 『神と仏、自然への祈り』」が催されました。

国宝だからといって無条件に認めてしまうのではなく、

肩書きや世評にまどわされず、自由な立場でものを眺めたい。

世の中には、国宝でなくてもはるかに美しいものや、愛すべきものや、

面白いものが沢山あるということを忘れて欲しくないという

白州正子さんの虚心坦懐の眼で選ばれたものは、

もちろん国宝もありますが、名も無き美しいものが多数あり、

また、そこに添えられた珠玉の言葉が気持ち良く時間が経つのを忘れました。

京都・高山寺所蔵の「狗児」とも出会うことができましたが、

これは白州正子さんも一冊本をしたためている明恵上人が大切にしていたもの。

明恵上人は、一木一草にも魂が宿るという「草木国土悉皆成仏」の考えから、

派閥も作らず名も無き民の救済のために尽力した人です。

八百万の神に感謝する日本人が昔から持つ心の拠り所を

思い出すことが今こそ大切なのかもしれません。

この展覧会では、それほど有名でないのにも関わらず、見る人の心を静かに、

しかし確実に打つ名品と出会うことができて、そんな名品に一つ一つ触れていくことで、

白州正子さんの胸中にある大きな森に分け入る喜びを感じられました。

庭師の福住さんは、白州正子さんに、

「味覚が分からない人は何をやっても駄目」

「自分で食べてそれが美味しいとか、美味しくないとかそれが判断できなければ

いい庭は作れないわよ」と言われたそうです。

化学調味料の添加された「食べ物」に慣れていると舌が麻痺してしまいがちですが、

美味しさの物指しとは何かと考えると、始めにガツンと刺激がくるものよりも、

噛むほどに味わいのあるものかどうかというところかもしれません。

滋味があって、何よりも後味がいいもの。

庭においても、日々の暮らしの中で、噛み締めて、噛み締めて、

それでも飽きのこない庭。

そんなものをつくってみたいなあと思っています。(T)

モミの木

11月中は暖かかったせいか、あまり眼に入らなかった街路樹や公園の木々達が、

師走に入り空気の冷たい日々が続いているため、

最後のお化粧を精一杯して色鮮やかに私達の眼を楽しませてくれています。

葉が落ちるということは、来年の芽の準備がしっかりできたことにより、

来芽によって葉が押し出されることのようです。

冷たい冬を乗り切り来年に向けて着実に動き始めています。

師走に入る前あたりから、娘達が「モミの木、モミの木」と騒ぎだします。

「本物のモミの木に飾りたい」と娘が幼稚園の頃から始めたクリスマスツリーも

今年で10年目を向かえます。

10年前は60㎝ぐらいの苗木であったモミの木も、今では180㎝ぐらいでしょうか。

オーナメントに隠れて存在の薄かったモミの木もかなり貫禄がついてきました。

オーナメントは手作りのもので、電飾などはありませんが、窓越しのツリーを眺めていると

なんだかあったかい気持ちに包まれます。

ちょっと前まで大きな靴下をぶら下げて願い事を書いた手紙を添えていた姿を

見られなくなってしまった寂しさはありますが、

クリスマスツリーによって思い起こすことが出来ます。

このモミの木は普段、上野原市の陶陽庭に植えてあります。

10年の歳月を経ると根鉢も大きくなり植木鉢に入らなくなってきたので、

今年で掘り起こすのは最後にして、今後は陶陽庭でのびのびと大きくしていこうと思っています。

根付いた頃に掘り起こしてしまうので、少しかわいそうな気持ちもありましたので。。。

私達のクリスマスの想い出はこのモミの木と共にあり、感謝の気持ちで一杯です。ありがとう。(F)

そよそよとした庭 2年目の手入れ

朝早く事務所へと通う車内は、携帯画面に見入る人、イヤホンをしている人、

疲れきって寝ている人など、全体的にどんよりとした空気に包まれています。

ともすると自分もそんな波動に飲み込まれてしまいそうになる時もありますが、

この日は、新宿方面から上がる朝日を見て、歓声を上げている人が何人かいて、

そんな人達と乗り合わせることができると嬉しくなります。

この現場は、横浜市青葉区の庭。

ちょうど二年前に産まれました。

これは、もともとあった庭を更地にして、生け垣を植え終わったところです。

そよそよとした庭を望んでいた庭主さんの期待に応えるべく、

在来種の野山の木をバラエティ豊かに選んで、

林床は、本当の山の中のような雰囲気に近づけようと、

ウッドチップを敷き詰めてあります。

足の裏から伝わるフワフワとした感触は心地良く、雑草もあまり生えず、

落ち葉が落ちても全然気になりません。

L字型の庭の地形を活かし、蛇行して行く小道は、

この奥にはどんな風景が待っているのだろうという期待感を抱かせます。

これは、植栽後一年経った、ある夏の日の風景。

玄関前には、既存のシマトネリコがだけが勢いがあってボリュームがあるので、

それを手入れでうまく透かして軽くして、新しい雑木の仲間たちとの調和をとります。

そして、今日は二歳を迎えた庭の定期検診です。

今が盛りの紅葉がきれいな葉っぱをあまり落とさないように軽く整え、

かつ来年の庭の健康と風景を考慮しての手入れです。

この空間は、ギャラリーページのUM庭でもご覧いただけます。

事務所のすぐそこ、浅間山の木々も少しずつ少しずつ色づいてきました。

今年も残すところ後一ヶ月。

お客様達が気持ち良く新年を迎えられるように庭をきれいに整え、

かつ庭の木々が長い視野で見て良い住空間を醸成していけるように、

心を込めて、手を入れさせていただきます。(T)

蛍舞う庭へ

庭作りの依頼をしてくださるお客様達は、庭に様々な夢を抱いています。

花畑に憧れていたり、芝生の庭を夢見ていたり、

私達の得意とする雑木の庭を希望されていたり、

お話を伺っている時間は本当に楽しいひとときです。

その夢に少しでも近づける事ができ、なおかつ愛情を持って接していただけるように

飽きのこない、年々環境の良い空間にするにはどうすべきかと悩み考えている事は

非常に苦しく大変な事なのですが、同時に楽しくてしょうがない瞬間でもあります。

こちらの庭主様も色々な夢を語ってくださいました。

そして「蛍が庭で舞っていたら嬉しいな」の一言から全ては始まりました。

敷地内に井戸を掘ることから始め、その水をうまく利用して蛍を孵す環境にしていきます。

和の要素と山の源流付近の自然な雰囲気を併せ持った庭が条件です。

循環させるため水を漏らすことはできず、コンクリートを分厚く下打ちした人工の川ですが、

見た目は自然そのものの渓谷と見紛うできであると自負しています。

ただ、少しでも庭を自然に近づけたいと思いながらも、やむを得ずこうした工法を

取ってしまうことはとても心苦しいことです。

工期やコストの面、絶対漏らせないという心配からの判断なのですが、

古来から工法で川底を粘土とグリ石を使って仕上げる方法があり、

それなら自然の状態に近く、呼吸のできる流れを作ることができるので、

今後、チャンスがあればやらせていただきたいと思っています。

工事を始めた当初の写真です。

おおよその図面しか書かないのが私のやり方です。

図面に縛られず、その場その場で当初のイメージを超えて、

木や石達が適材適所に収まっていく様はなんとも言いようがなく、庭作りの醍醐味です。

流れの川底の表面は自然の渓流のように化粧していて、

その上には落ち葉がいい感じで堆積して、やがて土に戻っていきます。

その土や腐葉土をカワニナは好みます。そのカワニナを蛍の幼虫は食べて成長していきます。

何年かかけてゆっくりと蛍の育つ環境を整えていく予定です。

当然、無農薬での庭管理となります。

決して簡単ではないと思いますが、この庭から様々な生命の営みを感じながら

素晴らしい生態系が築かれる事を信じ、人と生物達の共生が成り立ち、

自然の息吹を感じながら暮らすことができたら素晴らしい事です。

 

 

 

小さな秋

昨日、今日と小金井市梶野町の現場で手入れです。

何十年と今の庭主様の前の代から、ずっと変わることなく家を見守り続けてきた赤松が、

毎年この季節になると私達を迎えてくれます。

この大きな松の手入れは、熟練の職人の技を持ってしても一人で丸一日かかります。

私達が新たに庭作りをする場合、新たに松を植えることはまずありませんが、

日本古来のこうした松の手入れも、この水準でやらせていただきます。

松はよく幹巻きといって冬になると藁を巻き付けて、春にそこに集まった虫ごと

焼いてしまう虫の駆除方法がありますが、こうしてほうきで幹をこすってやることでも、

虫に越冬させない効果がある他、幹の赤さを際立たせ美しく見せることもできます。

手入れでは、枝葉を落とすだけではなく、最後の仕上げ、林床の掃除が、

出来不出来を左右します。

私達は、燃料を浪費するだけでなく、大きな音で町の静寂を破ってしまう

ブロワーには頼らないようにしています。

柔らかいほうき、固いほうき、手ぼうきを使い分けて庭を丹念に清めていきます。

昼休みには、現場のすぐ横の畑で、とても立派な里芋とヤツガシラを作っている畑に魅せられ、

私達もヤツガシラを作っている身ですので、そのものすごい株立ちのどっしりとした芋を

栽培する秘訣を伺いに行きました。

その答えは、なるほどな〜というもので、ぜひ来年は試してみたいと思う秘訣であったのですが、

そのおじいさんが、手入れが終了する頃、里芋を一輪車で届けにきてくれました。

農薬などは一切使わず、肥料も特別やらず、藁をまいて温め、古畳で寒さをしのぎ、

昔からの方法で様々な食物を育てています。

声高にエコを叫ばずとも、本物は私達の身近なところに

静かに、しかししっかりと地に足をつけて、佇んでいるのだなあと嬉しくなりました。

お天道様が、まだ高いところから地面を照らしてくれている間に、

手入れは終わったので、ちょっと近辺を散策してみました。

11月も下旬だというのに温かい日は続き、紅葉も今ひとつですが、

忙しくて紅葉の名所に行けない私達の目をも身近な小さな小さな秋が楽しませてくれます。

庭は、なかなか本物の自然の美しさにかなうものではありませんが、

そんな場所へ、そうそう行けない私達の日常生活を潤して欲しいという思いがあって、

少しでも自然を感じたいという思いがあって、住環境を良くしたいという思いがあって、

そこで初めて存在価値があるのかもしれません。

そんな庭主様の思いに、少しでも添いたいという強い思いで、

日々、庭を引き出し、庭の手入れで、それを維持しております。(T)

 

国分寺の庭4年目の手入れ

日が暮れていくのもいっそう早くなり、慌ただしく手入れを行なう日々が続いております。

ほぼ毎日のように現場が変わっていく中で、私達の手掛けた庭のお宅を訪れるのも楽しみのひとつです。

私達が庭に手を入れ整えていけるのは年に1回、多くて2回です。庭主様達の庭への日々の愛情の掛け方で大きく雰囲気が変わってしまうのも

正直な所、かなりのウエイトを占めています。そんな中で、イメージした以上の環境になっている庭も多くあり、

住まう人たちの笑顔で迎えられるととても嬉しくなります。ここ、国分寺の庭も4年目を迎え、作庭当初より住環境として遥かに良い環境に

育ってきています。

庭スペースは駐車場を広めにとっている為、決して広くはありませんが、小さいながらにも雑木の特徴が生かされ山の雰囲気が味わえます。

手入れとして葉を落としてしまうのが惜しいぐらい気持ちよく木漏れ日が踊っています。紅葉も徐々に始まっており、クヌギの黄葉をはじめ、

様々な雑木達がコントラスト豊かに染まって眼を楽しませてくれました。

雑木の庭は四季折々豊かな表情を見せ楽しませてくれますが、欠点は何と言っても成長が早い所です。

住宅や敷地のバランス、下草育成のため林床への陽光を入れる為、放ったらかしで自然樹形にしていく事は住宅地では難しい事です。

雑木の手入れを柔らかく自然な感じに仕上げていく事は非常に難しいのですが、葉っぱの量で成長をコントロールしていき、

バランスよく手を入れる事で、よりいっそう環境を豊かにしていきます。環境が豊かになり、

庭主様の愛情の詰まった庭に家族が集い笑顔の絶えない空間になれば幸いです。(F)

 

足下の意匠

まとまった雨が降り足下の悪い本日ですが、

庭主様が日々の暮らしの中で何度となく伝う園路、

そんな足下の意匠を今まで藤倉造園設計事務所が施工してきた中から特集してみます。

こちらは縁側から庭の真ん中にあるテラスへと続く園路を枕木と御影石、レンガで構成したもの。

(詳細はギャラリー・SD庭空間作りの軌跡・SD庭 )

こちらは流れのある庭で、

その川縁の雰囲気を出すために河原に自然とできた道のようなイメージです。

(詳細はギャラリー・KH庭 http://fujikurazouen.com/gallery

セメントを多少使ってはいますが、土の質感を損なわないよう仕上げた三和土。

うっすらと残った水面の上に枝葉の陰が揺れます。

同じ現場の伝いの佇まいです。

こちらは、塀に使われていた大谷石を再利用して構成した駐車場です。

枕木と奥多摩の石で構成した来客用の駐車場から、互い違いのウッドフェンスを抜け、

二段上がって庭へと続くエントランス部分です。

そこから玄関へは、奥多摩の石を細かく砕いた山道の風情で案内します。

(詳細はギャラリー・TY庭 http://fujikurazouen.com/gallery

ラインのきちっと通った石の伝いと流れを柔らかく包み込む苔の足下。

(詳細はギャラリー・NT庭 http://fujikurazouen.com/gallery

こちらはセメントを使わず苦汁と石灰で仕上げた本物の三和土です。

(詳細はギャラリー・TU庭 http://fujikurazouen.com/gallery

自然石を連ねて道にするのも味があります。

(詳細はギャラリー・SK庭 http://fujikurazouen.com/gallery

なんといっても自然の造形が一番です。

そんなモミジの絨毯で包まれているのは山梨県上野原市の陶陽庭です。

(詳細は空間作りの軌跡・陶陽庭 http://fujikurazouen.com/example)

華やいだ気分の時も、沈んだ気分の時も、

足早に出て行く朝も、疲れて帰ってくる夜も、

日々変わることなく踏みしめる伝い、そんな足下の表情は様々です。

そんな中から、庭主様の日々の暮らしに寄り添った佇まいを引き出していきます。(T)