藤倉造園設計事務所

日陰の庭6年目の手入れ

多摩市にお住まいのI様の庭の手入れに訪れました。

早いもので設計施工させていただいてから6年の歳月が流れました。

玄関脇の小さなスペースに植えた雑木達も良い感じで木漏れ日を落としています。

雑木のボリューム感も増し建築とのバランスも良くなってきました。

物干スペースでもあるこの庭は洗濯物があるとちょっぴり山里の雰囲気を感じる事が出来ます。

北側の坪庭は作庭当初より格段に雰囲気を増しています。

黒土仕上げの林床はシダやコケなどが繁茂し始め良い環境が保たれています。

日照時間も限られ厳しい条件の中で元気よく育ってくれるかと当初心配しましたが、

厳しいながらも懸命に生きる植物の生命力に力を貰います。

西日がわずかな時間だけ差し込みます。植物にとって必要不可欠な陽の光が数時間入り込むだけでも

最近の都市住宅事情では贅沢なのかもしれません。

住宅が建ち並び、土地いっぱいに建築が建てられる現在、

緑のあり方も考えていく余地は多々あります。

渋さを出すためには暗い空間の方が有効的かもしれません。

その暗さをうまく活かし、住まう人にとって居心地の良い庭環境を

引き出して行くことが私達の仕事です。

緑の力を十分発揮出来る住空間にできるよう今日もまた一歩踏み出します。(F)

 

観察力

日本庭園協会東京都支部の秋季見学会が東京の奥座敷、奥多摩の御嶽で行なわれました。
川合玉堂美術館と画伯が晩年を過ごされた偶庵の見学、庭師の河村素山氏と漆芸作家の並木恒延氏による講演会です。

河村素山さんは若かりし頃、設計施工をされた中島健氏のもとで、この玉堂美術館を手掛けられた方です。
借景を強く意識する為、京都の龍安寺のようなシンプルな構成をイメージされて造られたこの庭は、現在みどりの島のようにサツキの刈り込み仕立て(写真奥)で低く抑えられていますが、当初は杉苔であったようです。景石や延段などの石も現地調達で下の渓谷から拾い上げてきて据え付けたそうです。現場調達出来ることは、その風景に馴染みやすく、つながりを待たすことが出来よい雰囲気を醸し出します。
なかなか、住宅地では材料を拾い上げる事は出来ないのですが、景観を損なわないようにセンスよく土地のものを使って空間構成をしていく努力をしていかねばと考えています。

この延段は鍵形の手法で、素山さんは現在でもこの手方は使うと、嬉しそうに語ってくれました。
講演会では『素山流作庭作法』と題して、今までの経験をもとに様々なディテールや考え方などを解説していただきました。

現在、川合玉堂美術館は開館50周年記念展、『玉堂・江中師弟展』が行なわれております。
写真の方が玉堂最後の愛弟子、宇佐美江中氏です。

玉堂先生が晩年を過ごされた偶庵で10年近い時間をを共に過ごされました。当時のエピソード
を交え、現在非公開の偶庵でお話をしていただきました。ユーモアたっぷりのお話は、当時の情景の絵が浮かび、大変有意義な時間を過ごさせていただきました。

玉堂先生は常々、『私は大自然宗である』と語っていたそうです。自然を観察して学び受ける事が何よりも大事であると考えています。
雑木をこよなく愛され自邸も雑木の庭となっています。家寄りに雑木を植え庭と風景を繋げる事を意識していたようです。

現在、住まう人がいない為、庭は少々荒れていますが、その庭を見て下枝を払えば良くなるなど、あちらこちらで 声があがっていました。
何とかして良い雰囲気の漂う、玉堂先生が愛した庭を未来に残していければ良いのですが。

建築は母屋を中心に四阿が2棟建てられています。
四阿は現場設計で大工さんが相当苦労されたとか。玉堂先生が材料を決め、設計、スケッチを描いたそうです。
写真の四阿は方水居です。センスの良くまとまった素晴らしい四阿です。テーブルなどは水車の歯車を加工したものです。
流れが庭を横断するように流れていて、昔はヤマメやイワナなどを池に放していたようです。
現在でも流れの水は緩やかに陽に当たりキラキラしながら流れています。

建仁寺垣根の材料の山割りを作っていたおじいさんにお会いしました。
今時分の竹が一番長持ちしていいんだよ!と、せっせと作っていました。
私達も建仁寺垣根は作りますが材料は買ってしまう事が多いですが、このように一枚一枚作る事により気持ちが入っていく事を思い出させてもらいました。

昼食後、漆芸作家の並木恒延氏による講演会です。『私の原風景と表現世界』というタイトルで
お話をしていただきました。漆というと漆器のイメージでお椀などを連想しますが、
若い頃から絵を描きたいと思っていた並木さんは漆で絵を描いています。
漆表現の可能性を追求し続け、可能性のなかに個性的な絵画的表現を確立した並木さんの作品は、
漆の概念を突き破る衝撃の美しさがありました。
幾つもの工程がある漆の絵画は、様々な貝やウズラの卵などで彩られ、見る人たちに優美の気持ちを与えます。

常に一点品です。時間をかけ妥協をせずに打ち込む事は、漆も日本画も造園も同じです。
自然への観察力を高め、日々日常からの蓄積、引き出しを多く持つ事が大切なのでしょう。
創作意欲を高め全力で取り組む事が美をつくることには必ず必要です。
人の心を揺さぶり動かせるような力強い作品になるように、考えに考えて行動していく事が未来に繋がると言う事を改めて感じました。
ジャンルは違いますが、同じ美を求めていく方々からの熱いメッセージが身にしみました。
どうもありがとうございました。(F)

8年目の手入れ

この日の現場は千葉県市原市。

朝五時半に府中の事務所を出発し、車中で睡魔に襲われる頃、

市原の山中は霧の中でした。

この絵は、川合玉堂の「溪雨紅樹」

(山種美術館HPよりhttp://www.yamatane-shop.com/product/335

ですが、庭が完成して八年目の手入れをしに、霧中の現場へ到着して見た風景は、

この絵を想起させました。

現場へ到着すると慌ただしいもので、霧に霞んだ幻想的な風景は写真に収められませんでしたが、

これは、それが微かに残る様子を朝の一服の時間に撮ったものです。

この地では、木々を伸び伸びと育てることができるので、自然樹形を損ねることもなく、

八年の歳月を経て、より健やかになってきています。

そして、この写真は翌日の手入れ終了後の写真です。

このカットでは、分かり辛いですが、トラック一台分の枝下しをして、

かなり光と風が通るようになっています。

この庭は、都内在住の庭主さまの別荘ですが、

近所に住まう80歳にもなるおばあちゃんが、時々カブに乗って颯爽とやってきて、

林床を清めてくれています。

そんな風にして大切に慈しまれている庭は、一年ぶりに手入れに訪れても、

全く荒れた感じがなく、雑然ともしていなくて、むしろ清涼感に包まれています。

現場へ着いてもとても気分がよく、枝下しのピッチもぐんぐん上がります。

作業後に、流れへ水を流す時間は至福の一時です。

この写真からは、木立の雰囲気と庭の清潔感が伝わるのではないでしょうか。

私達の手入れはほんの一助で、この状態を保っている最大の功労者は、

さきほどの80歳のおばあちゃん、野口さんです。

とても若くて、元気で、明るくて、こんな風に歳を重ねたいと思わずにはいられない

素敵な方で、なんともいえない良い顔をされています。

なので写真を撮って載せたかったのですが、叶わなかったので、来年こそはと思っています。

かつて「照葉して名もなき草のあわれなる」と詠んだのは富安風生ですが、

この庭にある雑木と片付けられてしまう名もない木々を愛で、

私達もまだ少し早いながらも、紅葉狩りをしてみました。

とはいっても、ちゃんと、それぞれ立派な名を持っているもので、

以下に挙げた写真に写っている木々は庭にある沢山の木の一部です。

ドウダンツツジ、ダンコウバイ、ジューンベリー、ナンテン、コハウチワカエデ、

ハウチワカエデ、ムシカリ、リョウブ、オオモミジ、ヒサカキ、アブラチャン、マユミ、

ツバキ、ミヤマガマズミ、カラスウリ、ソヨゴ、ニシキギ、クロモジ、ヤマコウバシ、

サワフタギ、オトコヨウゾメ、ギボウシ、ハラン。

まさに色とりどりです。

ダンコウバイの葉とカラスウリの実を持ち帰り、

こうして部屋に飾ってみるのも一興かもしれません。

この市原の庭は、作庭例の中のギャラリー・KN庭(http://fujikurazouen.com/gallery)

でも紹介しています。

是非、ご覧ください。(T)

時を超えて

今年も残すところ、わずか二ヶ月、待ったなしで怒濤の手入れが始まりました。

この日は風もなく秋晴れのとても穏やかな一日です。午後から剪定枝を堆肥にするため、

陶陽庭に運び入れます。一年も寝かしておくと、とても状態の良い腐葉土が出来上がります。

その腐葉土を寒肥えとして、油かすや鶏糞など何種類かブレンドして木の根元に埋め込んだり、

畑の肥料として混ぜ込んでいます。

一般的に剪定枝はゴミとして処分されますが、こうして循環させることができると、

とてもゴミとは言えない立派な資源です。

陶陽庭がある上野原の地元農家の方々も「このような腐葉土が畑には一番良い!」と

喜んで貰いにきてくれます。

化学肥料に頼らず、うまく循環していけると素晴らしいのですが。

陶陽庭からの帰路、たまには違うルートを通ろうと、かつて長寿の村として有名になった

棡原(ゆずりはら)村を抜け、檜原村に出ました。

檜原街道沿いには秋川渓谷があります。とても良い渓谷です。

この渓谷は幼い頃からキャンプや釣りをしによく訪れたことがあります。

魚の方が一枚も二枚も上手な為、まったく川魚を釣った記憶はありませんが、

小学校卒業文集には趣味は釣りと書いてありました。

釣ったことは覚えていませんが、楽しく飛び回っていたことは覚えています。

なかなか渓谷上流には子供達だけでは行けず、親をはじめ大人の力を借りて行ったものです。

釣れない事を分かっていて付き合ってもらったことに、今さらながら感謝をしています。

この滝は、吉祥寺滝と呼ばれている所で、吉祥寺というお寺のそばにあります。

写真では伝わらないと思いますが、かなり豪快な滝です。

しばし佇んでマイナスイオンを十分吸収してきました。

五日市に入りしばらくすると、秋川渓谷沿いに炭焼き山菜料理の「黒茶屋」があります。

ここは250年前の庄屋屋敷を移築した母屋を中心に離れが点在しており、

山里の風情が味わえるお店です。

離れも茅葺きや杉皮葺きの屋根に苔や草、シダなどが生え、楽しませてくれます。

この「黒茶屋」は、私の尊敬する庭師・金綱重治氏の設計・施工の箇所もあります。

見に来るたびに新たな発見があり、勉強させられます。

「黒茶屋」からほど近くに広徳寺という応安6年(1373)に創設された

臨済宗の寺院があり、そこまで足を伸ばしました。

この写真は総門で入り口にあたります。檜皮葺きの下側が茅葺きとなっています。

参道沿いに進むと山門、本堂と続き、その山門は茅葺き二層式で美しさは絶品です。

このような地にひっそりと、こんなにも美しい建築が残っていることに感動すら覚えます。

堂々としたカヤやタラヨウの巨樹も歴史を感じさせます。。

時代を超えて感じることのできる美しさに接する中で、未来に恥じぬように、

今できる精一杯のことを考え、行動していかねばならないと強く感じた一日でした。(F)

 

 

 

 

 

 

筑波山麓を訪ねて

日本庭園協会東京都支部では年に一回、異業種の方をお呼びして講演会を行なっています。

異業種の方々から受ける刺激は大きく、たくさんの収穫が得られますが、

次回は、来年一月に筑波大学芸術学系教授で建築家の安藤邦廣氏にお願いを致しました。

安藤先生は民家や日本の建築文化を研究されている第一人者です。

高田造園設計事務所の高田宏臣さんの多大な尽力もあって、

今回の申し出を、「お力になれるのであれば」と快く引き受けてくださいました。

茅葺きの民家や農村景観が日本人の原風景として失ってはならないもの、

断熱性と通気性を兼ね備えた茅葺き屋根の優れた居住性が見直され、

茅は石油に替わる持続可能で循環する植物資源としても注目されています。

日本人のDNAに刻まれた原風景を、建築と庭で景観として取り戻し、

未来に繋がる大きなヒントを与えてもらえる講演会になると思います。

楽しみでなりません。詳細が決まり次第、お知らせ致します。

そんなお願いに筑波に行った折、筑波山に立ち寄りました。

関東で庭石といえば筑波石が最も有名であり、

苔も載りやすく良い雰囲気を出してくれます。恵まれた環境のもと石工職人も多い土地柄です。

車で移動中あちらこちらで、五輪塔や野仏などを目にしました。

宝筺山山頂には、鎌倉時代中期の宝篋印塔が置いてあるため、早く目にしたくて気持ちが焦ります。

なんとか山頂に到着!

なんとも美しい宝篋印塔が出迎えてくれました。

権力のためではなく名も無き民を救いたいという思いから生まれた美しさが、

時代を超えて人々の心に響き続けます。

現代も混迷深まる時代でありますが、今だからこそ、

本物のもの、本物の仕事、本物の景観へとシフトを入れ替え

軌道修正して行かねばならないのでしょう。

午後からは安藤邦廣氏が顧問を勤める里山建築研究所の花田さんのご案内で

平沢官衙遺跡と筑波山麓美六山荘を見学することができました。

美六山荘・離れの板倉は大正4年に建てられていた下館の石倉を、

筑波山麓に板倉造りとして再生してあります。

立派な松の梁組、建具、広々とした広縁が設けてあり開放的な空間になっています。

南側に張り出した庇の上の屋根は、草屋根でイチハツやカンゾウ、ノシバなどが植えられ、

季節の彩りを添えています。

この古民家は、かなりモダンで格好良く、暫く見とれてしまいました。

センス良く手を加えることで建築も庭も蘇りますが、かなり難しいことです。

断熱材や防水層にも新建材は一切使わず再生可能な植物だけで作っていながら、

デザイン的には茅葺きはこうあるべきと言う概念を上手に塗り替えた住まいではないでしょうか。

日本のこの場所にしかない景色、ホタルが舞う山里に馴染んだ風景でした。

このような建築を見せていただき感謝しております。どうも、ありがとうございました。

 

<追伸>

お知らせです。

安藤邦廣先生が代表理事を務める日本茅葺き文化協会で茅葺き体験ワークショップが、

世界遺産の合掌造り集落・五箇山で11月19日・20日に行なわれます。

定員はあるようですが、興味のある方は参加してみてください。

詳しいことや申し込みは下記のホームページからよろしくお願いします。(F)

http://www.kayabun.or.jp/

 

 

 

 

 

 

自然に還す

武蔵野の一角・府中市浅間町に構えている事務所の近くには比較的自然が多く残されています。

武蔵野の雑木林の面影を残す浅間山公園、はけと呼ばれる河岸段丘とその下に流れる野川一帯。

ここ野川公園では風土に適した在来種の樹木や山野草を観察することができます。

東八道路を挟んで北側にはこのような木道の散策路があり、

南側には雑木林と芝生が広がっています。

ここは、もともとゴルフ場だった場所を昭和49年に買収し、

その周辺の神代植物公園、武蔵野公園、多磨霊園、調布飛行場、浅間山公園、府中の森公園などの

緑地を含め「武蔵野の森構想」のもとに造成を行い、昭和55年に開園したようです。

かがみ池にかかる残照のモミジです。

百合の実も種を飛ばす準備万端です。

日本においては、ゴルフ場は企業の接待に多く利用され、バブル景気時代に建設ラッシュが起きて、

リゾート法がその後押しをするようなこともあって、1990年代には日本のゴルフ場の総数は

2000を超えたとも言われています。

この多すぎるゴルフ場を少しずつ自然に還していくことが、一世代前の時代の反省を鑑みて

私たちの世代にできることの一つなのかもしれません。

野川でも、川沿いに湿原や貯池、田んぼなどを復活させる自然再生事業を行っている

という看板が立っていました。

まさに自然そのもののような美しい風景を作り出す庭師の故・道家健さんは、

座談会「飯田十基の精神」の中で、

「庭を作ってきた技術でもって、壊してしまった自然を再生する方に活用できればいいと

願っています。」と述べ、

庭を作るというよりも、風景を自然に返納していくことの必要性を語っています。

コスモスが風に揺れる野川っぺりを歩きながら、そんなことを思い出しました。

来年もまたありがたいことに、既に何件か、お客様の家の新しい住空間作りを依頼されています。

そこで私たちにできることは、庭を作るというよりは、その地の風土を感じ、

在来種の木を、自然に還すという意識を持って植えることなのかもしれません。

野川から見るすすき越しの夕焼けです。

そんなことを考えながら、「はけ」の辺りを歩いていると、こんな屋台を発見しました。

火鉢と鉄瓶で沸かした小金井の井戸水で、豆を手動で挽いてコーヒーを出してくれる

「ドアのない喫茶店『珈琲屋台 出茶屋』」(http://www.de-cha-ya.com/)です。

日替わりで小金井近辺に店を出しているようで、一度通り過ぎたものの、

ものすごく気になって戻ってコーヒーを注文しました。

使っている道具の一つ一つが味があって、見ていて楽しく、炭火の遠赤外線にあたりながら、

美味しい美味しいカフェラテをいただきました。

どうも、ありがとうございます。(T)

日々の慈しみ

千葉県野田市に資材を仕入れに行った折、上花輪歴史館に寄りました。

創建当初の雰囲気を再現するために、しばしの休館期間を経て今年リニューアルされました。

この木賊垣は、釘を使わずに施されたもので、寸分の隙間もなく驚嘆するばかりの技術です。

贅を尽くして作られた館内は、どこもすごいな〜と感じずにはいられない技巧が施されていますが、

そんな見所とは違う場所でふっと胸の力を抜いている時に、

思いがけずどーんと心の奥底に響いて、すっと体に入ってきたのは、

おそらく作り手の作為の及ばないであろうこんな風景でありました。

館内では常駐スタッフが、落ち葉を掃き、萩をまとめて紐でくくり、

はびこっているゼニゴケに刷毛で食酢を塗って退治し、隅々まできれいに保っています。

醤油作りの道具や当時を偲ばせる道具も、

過去のものとは思えないくらいきれいな状態で保たれていて愛情を感じます。

庭でもそうであるように、一年に数度しか伺うことができない私達植木屋の手入れは、

良い空間を維持するためのほんの一助であって、そこに住まわれる方の日々の慈しみこそが、

何よりも心を打つ風景を生み出すのだなあと、そんなことを感じた素晴らしい歴史館でした。

資材を山梨県上野原市・陶陽庭へ運ぶと、少しですが紅葉が始まっていました。

ムラサキシキブは、紫色の優美なさまを源氏物語の作者になぞらえたとされています。

隣の敷地は、植林された杉林ではありますが、こうして柔らかい光が差し込むと美しいものです。

ここ陶陽庭は、放置された遊休地を買い取り、今日まで十年間かけて少しでも、

もともとこの地にあったであろう美しい雑木林に近づけようと木を植えてきたところです。

毎週末通い小屋を建て、少しずつ少しずつ育ててきました。

お客様からの頂き物や、町の解体現場から引き取ってきたものを主体に構成し、

私達の純粋な思いだけで、慈しんできた場所です。

そんな「空間作りの軌跡」は、

このホームページの「作庭例」の中の「陶陽庭」にも掲載されています。

全くの更地の状態からの変遷、四季折々の風景が分かります。

私達の思いの結晶ですので、ぜひご覧ください。(T)

 

 

未来の笑顔のために

山梨県上野原市の陶陽庭で、過ぎし夏の日には、

このように威勢良くピンピンしていたヤツガシラの茎も

幾度かの台風を経験し秋も深まった今では、しなっとしてきました。

芋の収穫は一霜浴びた十一月頃になりますが、

一足先に地上部分の茎・ずいきを収穫しました。

皮を剥き一週間ほど日干しにして、美味しく美味しくいただきます。

主役の芋の部分だけではなく、副産物のずいきも無駄にすることなく、

秋の食卓の脇を固めます。

今年始めに寒仕込みをした味噌も、暑い夏を乗り越えて良い加減に醗酵が進み、

リンドウが庭に出てくる今、食べ頃となりました。

田楽味噌にしていただくと、寺田本家の米麹を合わせ半年以上の歳月を経て熟成された

この味噌は、噛むほどに味わいが深く手前味噌ながら滋味があるように感じます。

そんな寺田本家も出店している「土と平和の祭典」が、先日日比谷公園で行われました。

加藤登紀子さんや高野孟さんが世話人を務めるこの大地へ捧げる収穫祭は、

有機的な農的生活を国民的規模で作り出し、持続循環型田園都市と

里山往還型半農生活を創造して国民皆農運動を行うことを目標の一つにしています。

意識の高い農家や団体が多数出展し、音楽がそれを彩ります。

芝生広場の真ん中に組まれた竹のジャングルジムには子供たちが登り、

その上から音楽を楽しんでいました。

加藤登紀子さんは戦後日本が復興できたのは、田舎に健康な「土」と「水」があったからで、

そんな命の源さえあれば大丈夫と以前から言っていました。

しかし、その「土」と「水」が汚染されてしまった今は、現実から目を背けず

絶望しなければいけない状況であるけれど、その中でも希望を失わず

絶望に立ち向かうための力をつけなくてはいけないと言っていました。

このお祭りは、農家を中心に、どうすれば子供達の未来を笑顔で満たせるように

できるかを考え、土にまみれ、大地にしっかり根を張って生きている人達が集まっていました。

各分野で、いろいろな方々が懸命に活動されていますが、

そんな未来のために、植木屋としてできること、植木屋にできる社会貢献とは何なのだろうと

考えるお祭りでした。(T)

 

木を読む

武蔵野市吉祥寺の現場でも、秋晴れの中、やっと植栽の日を迎えることができ、

この日まで辛抱強く待っていただいたお客様には感謝の念が尽きません。

この現場は、ウッドフェンスの塗装を家と同じ色の自然塗料で施し、

リビングを囲み込むような高いフェンスを中心に、段違いのフェンスが重層的に並びます。

フェンスだけができた時は、それだけがデーンとそびえ威容を放っていましたが、

木々が入ることで、調和がとれてきました。

作庭という言葉こそありますが、庭は作るというよりは、

バラエティに富む木の特性を読み、その良さを引き出していくものかもしれません。

それらを組み合わせることによって、木々の持つリズムが複雑に絡み合って、

響き合い共鳴していきます。

午後になると、家に映し出された木々の陰が心地よい風に揺れ、

家と庭の協奏曲が奏でられます。

リビングから見ても、道路からの視線をしっかりと遮られた空間は

市中の山居を思わせます。

石臼を置いたこの場所には、庭主様のお好みで水鉢などを置いていただき、

水を貯め、メダカを飼ったり、鳥が水浴びできる場所にしたりと

自由に楽しんでいただきます。

リビング前から奥へと続く蛇行した小道は、起伏を付けて山道のようにして、

二人のお子様が駆け回っている姿を思いながら、描いていきました。

扉を閉めているとこんな感じに見える玄関へのアプローチ。

扉を開けると枕木と御影石、ピンコロ石で合わせた三和土から

奥へと続く来客用の駐車場も目に入ります。

この奥には、まだ構想段階ですが、草屋根の自転車小屋を建てる計画もあります。

そして、庭の裏側には二期工事として木を植えコンポストを作る予定なのですが、

それまでの仮設のものとして、余った材料だけで作ったこのコンポストでしのいでいただきます。

植栽当日、二人のお子さんが学校や幼稚園から帰ってくると、一通り庭を楽しそうに駆け巡って

その後は、飼育している沢山のクワガタの中からお気に入りのものを持ってきて、

この庭で一番大きなコナラの木に放してスケッチしていました。

クワガタが木を登り子供たちの背の届かないところまで行くと、

とってあげて又下の方に放すという楽しい繰り返しを何度かすると辺りはもう真っ暗でした。

一植木屋としてできることは、木を読み、そのエネルギーを引き出して、

各々が健康的に響き合っていける手助けをすることなのかもしれません。

そんな庭が権威の象徴ではなく市井の人々と密接に関わり、街に森を作ることによって、

通りすがりの人も楽しめ、何よりも庭主様ご家族の暮らしを豊かにするものであれば

植木屋冥利に尽きます。(T)

 

 

「はけ」を歩くと

藤倉造園設計事務所を少し北側へ行くと、「はけ」と呼ばれる国分寺崖線が

東西に走っています。これは、西は立川市から東は世田谷区まで延びていて、

「はけ」というのは崖下から清らかな水が湧く場所を指しています。

その線上には、「滄浪泉園」や「はけの森美術館」、宮崎駿監督の「借り暮らしのアリエッティ」の

モデルにもなっていそうな民家などがあり、楽しく散歩できます。

小金井から、「はけの森美術館」を抜けて、武蔵野公園あたりまでいくと、

その延長線上に公園と見まがうとても大きなお屋敷があります。

今日は、その邸内を見せていただくことができました。

門からのアプローチの石畳です。

苔が乗っていて、とても美しいです。

もともとの雑木林を生かして、「はけ」の上から下まで庭は広がります。

武蔵野本来の自然な植生の中に、人間の暮らしの場として、さりげなく石畳が佇んでいます。

いつまでも見ていたい、あられこぼしでした。

この「はけ」を包み込む雑木林を、人間の暮らしの中へ取り込むための接点として、

「庭」にしたのは、雑木の庭の先駆者・飯田十基さんとその門下・星進さんです。

貴重なものを見せていただき、どうもありがとうございました。(T)