藤倉造園設計事務所

人の気持ちの真ん中に届く

この6月に、板橋区のある店舗前の小さなスペースに植栽をするお仕事をさせていただきました。

モミジを主木に、エゴ、ダンコウバイ、ツリバナ、アズキナシなどを自然な感じで植えました。

今日、仕事が終わった後に訪ねると、日も短くなったせいか、

初めてライトアップされた夜景を眺めることができました。

この店舗の名前は、「桐乃坂中央軒」。

「中央軒煎餅」の新ブランドです。

「中央軒煎餅」の前身の煎餅屋さんはもともと赤坂にあって、

その地域には、桐の木がとても多かったそうです。

桐は高級家具の代名詞である他、女の子が生まれると桐の木を植え、

結婚する際にその桐で箪笥を作り嫁入り道具とする風習などが日本にはあります。

ここ「桐乃坂中央軒」の庭にもシンボルとして、小さいながらも桐の木を植えました。

大きなモミジなどの傍らで、小さいながらも主役であるこの桐の木は、

象徴的にライトアップされ、煎餅を買いに来られるお客様を迎えます。

このお店が満を持して、来る10月11日からオープニングイベントを開催します。

「中央軒煎餅」では、「人の気持ちの真ん中に届く、上質な米菓子をつくり続ける」ことを

一番に考えていらっしゃいます。

そんな煎餅を頬張る道すがら、私どもの作ったちょっとした庭も、

ちらっと目の片隅にでも入れていただけるとありがたいです。(T)

眠れぬ夜が明けると

お彼岸も過ぎ、空模様も深まる秋を感じさせます。

現場では、蚊の一生も終盤を迎え、この世の最後とばかりに猛威を振るっています。

痒さからくる小憎らしさの反面、一抹の哀れみを感じつつも、

人間としても出血大サービスをするわけにもいかず、蚊取り線香のお世話になっています。

長らくお待たせしてしまいました、こちら横浜市都筑区のお客様の現場でも、

ようやく植栽日和の続く時候となり、まずは土入れをしました。

この殺風景な景色がどう変わるか、ご覧ください。

木には、木自身が植えてもらいたい場所があります。

その場所へ適切に収めると、木を植えることで却って空間を広く感じられます。

それぞれの木を単独で愛でるのではなく、木々の醸し出す雰囲気、

木と木の間の佇まいを感じられるように、空間を描いていきます。

実も沢山なっています。

これは、アオハダの実。

爽やかな新緑も秋に黄色く色づく葉もとても美しい木です。

他に、エゴ、ヒメシャラ、ヤマボウシ、ナンテンなども実をつけています。

鳥達が遊びにやってくるのも時間の問題でしょう。

こちらはナツハゼの実。

和製ブルーベリーともいわれ、アントシアニンや抗酸化成分は

ブルーベリーの倍以上あるそうです。

生でそのまま食べても、少し酸っぱくてとても美味しいです。

こちらはツリバナ。

その名の通り吊り下がっている実が、ぱかっと四つに開きます。

木々が入ることで、構造物が包み込まれ穏やかな表情にになります。

テラスの横のこの場所には水を落とし、目をつぶっていても音で自然を感じられるようにします。

テラスへと続くアプローチに下草が強弱を付けます。

植栽は、大工さんで言えば棟上げにあたるでしょうか。

前日は、期待と入り交じった不安で眠れないものです。

こうして木々が、それぞれの個性を活かせるよう適材適所に収まってくれると、

安心感と満足感で、一日の終わりにいつまでも水を撒いていたくなります。

地域を潤す庭

2009年の春にオープンした「庭のホテル 東京」です。

2年前幸いなことに、この庭づくりに参加する機会に恵まれました。

庭の設計施工は山田茂雄氏(山田茂雄造園事務所)です。

山田さんは、中島健さんの右腕として頭角を現し、名園を創り出してきた実力者です。

現在は息子さんと共に、大きな公共スペースから住宅庭園まで数々の美しい空間を手掛けています。

この庭のホテルは野山の木を中心に、山奥の雰囲気を醸し出しています。

その為には木を傾けたりしながら植栽をしていくのですが、

人工地盤のため土の量も制限されていました。

微妙な傾きの加減で雰囲気が変わってしまうため、

自然に柔らかい感じを損なわないように、

地盤に固定していくことがかなり大変だったことを記憶しています。

石の扱いも斬新で、自然の景色の中にも造形的な一面が見られます。

この写真の円柱型の石は、橋脚の基礎として使われていたものですが、

他に神社の鳥居の笠石を使ったり、一番上の写真にある水盤のように

手彫りで作っていた時代の石臼なども使われています。

庭は作った時が一番良いのではなく、時と共に美しくならなければなりません。

その為には5年10年先のことを読み、樹木の成長を考え、

木の持つ力を最大限引き出していけるような空間にしなければいけないのでしょう。

作庭当初より遥かに美しい空間になっている庭を見て、私ももっと先を読みながら空間取りを

していかねばと、改めて思いました。

山田さんの庭には独特の空気が流れています。

仙川の武者小路実篤記念館のそばにある「森のテラス」は、

国分寺崖線と言われるハケを利用した森のような庭が、

地域の人たちに開放されています。

大きなコナラやソロなどの雑木を最大限にいかし、要所、要所に草花が寄せ植えしてあり、

木漏れ日の踊る庭に爽やかな彩りを添えて、見る人を楽しませてくれています。

そこでは地域の人たちに様々なイベントなどで利用してもらい、

「雑木の庭」を実際に見て楽んでもらっており、

秋田でもまた壮大なスケールでの環境づくりが進められています。

地域の人たちと共に、未来に向けて環境を整えていけることができれば素晴らしいことです。

 

 

「総持ち」の庭

「庭のホテル 東京」で、宮大工棟梁である小川三夫さんの話を聞く機会に恵まれました。

小川さんは、法隆寺の宮大工棟梁、故西岡常一さんに師事して、

飛鳥時代から続く日本古来の建築技術を学ばれた方です。

一度は断られたものの、念願かなって西岡さんの門に入った頃は、

鉋を研ぐなどひたすら研ぎ物だけの日々だったようです。

一度、先輩に誘われある寺を見学に行って帰ってくると、

そんな暇があるなら刃物を研げと言わんばかりに、

西岡さんは、近寄れないほど不機嫌だったといいます。

そんな西岡さんが、ある日頑張っている小川さんのところへ来て、

鉋を曳いてみせてくれたそうで、その鉋屑は、ずっと窓ガラスへ貼っていたそうです。

今日は、小川さんが槍鉋(やりがんな)を曳いてみせてくれました。

この研ぎ抜かれた鉋で木を削ると、

ガラス板と同じように、水をはじき、水滴が浮かぶそうです。

小川さんが槍鉋で削った鉋屑をいただいてきました。

最後には、規格物ではなく太かったり細かったり、

曲がっている不揃いの木々を適材適所で使って

古代建築はできているという話から、

それは人間社会も一緒で、秀でた人達ばかりではなく、

それぞれの個性を持ったいろんな人達が集まって支え合ってこそ、

いいコミュニティーはできるという話になりました。

建築用語に「総持ち」という言葉がありますが、それは

一本の木が他の木を支えるのが原則ですが、組上がった木々などが総合的に絡み合って、

単体としての木以上の強度や耐久性を、全体として発揮するような状況を言うようです。

それは、伝統構法をとても魅力的にしているものですが、

私たちが庭で目指していることも、一本の銘木や一つの銘石を強調することではなく、

曲がったりして癖のある不揃いの木々を組み合わせて、

全体として雰囲気を出していく「総持ち」の庭です。

それが、木々だけでなく、虫や雑草、微生物など個々の生命体が有機的に絡み合って

渾然一体となったものとなっていければ良いなと思っています。(T)

 

人が集う空間

私の友人であり、良きライバルでもある高田宏臣氏(高田造園設計事務所)

の新作の仕事を見せてもらいました。

高田さんは環境意識も高く、良い庭とはなにか?良い空間とはなにか?

と自問自答を繰り返しながら、常に進化し続けている作庭家です。

口癖のように「ひとつの大きな森として、山と都市とを繋げていきたいと」語っています。

そして今、夢への大きな一歩として、幾つかのプロジェクトも進んでいるようです。

6月下旬に完成したこの庭は、どうしても見ておきたかった庭のひとつです。

この空間は写真には写らない空気感を肌で感じさせてくれます。

もともと棚田であったこの土地は、自然に囲まれており絶好のロケーションです。

そのロケーションを借景として、自然にさりげなく植栽で繋げてあります。

石積みも棚田のそれを思わせる、ざっくりとした積み方で隙間からシダやリュウノヒゲなどの

下草が顔を覗かせています。

ストーブ用の薪置き場と、小さなスペースではありますが、

季節の野菜たちが玄関アプローチ横にあり、来客する人たちの眼を楽しませてくれます。

この土地は薮であり足の踏み場もなかったそうです。

その中に大きな榎が群れて点在していて、かなり珍しい光景です。

「この榎に惚れ込んで土地を購入しました。榎は一里塚にも植えられ、大きな木陰をつくり旅人や

地域の人々の集う場所であったそうよ。」と嬉しそうに奥様がおっしゃっていました。

薮だらけで周りの人たちが心配していたこの土地を、良くなると見抜いて実行し、

そして今、すばらしい環境に整っています。

地域の人たちとの新年会など、様々なイベントを行なうこの空間に身を置いて語らうと、

時を忘れ名残惜しい気分になります。

居心地のいい空間には、決して自然に逆らわない、

建築と庭とその周りの環境がひとつになった時に感じられる

やさしい空気に満ちた世界が広がっていました。

 

突然の訪問にも拘らず、笑顔で向かえていただき、貴重なお話をまで聞かせていただきました。

感謝感激致しております。ありがとうございました。

良い刺激を貰った帰り道、さわやかな風が吹いていました。

良い空間にしていく為に、何をすべきか?

糸口が見えてきたような一日でした。(F)

これからの美しい暮らし

深田さんを訪ねた後は、すぐ近くの鴨川和棉農園に立ち寄りました。

日本には、日本の気候風土に適した日本綿(和棉)がありますが、

現在は大量に農薬を使用する輸入綿に依存しているために、日本綿は絶滅の危機に瀕しています。

こんなきれいな花が咲きます。

洋綿は、実が上を向いて割れますが、和棉はこのように下を向くため雑菌が入りにくく、

病気にも強いため農薬を必要としません。

庭でも、なるべく潜在自然植生を踏まえながら、風土に合った自生する木を

使うことが、何よりも健康な空間づくりに欠かせないと思っています。

そのお隣には、旧水田家住宅が残されています。

力強く組まれた石組みと重厚な長屋門です。

そこをくぐると茅葺きの寄棟造の母屋が、どーんと居座っています。

茅葺きの屋根の中で、南面には瓦葺きの下屋が差し掛けてあり、

それが房総民家の特色のようです。

大山千枚田です。

田を耕す人が絶え荒れ果てていたこの地は、オーナーを募ることで、

こうして維持することができています。

ここは日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田です。

今回の台風でも洪水や土砂崩れの心配は尽きませんが、

棚田には、生物の多様性を支えたりする他に、

洪水などの災害を防止するなどの多面的機能があります。

棚田のあぜ道へ足を踏み入れると、歩みを一歩進める度に飛び跳ねるものがありました。

このトノサマバッタの道案内に導かれるように、奥へと進むと、

収穫を終えた稲が天日干しされていました。

乾燥機の普及につれて、この「はざがけ」の風景は一時期減りました。

しかし天日干しによる効能は高く、ただ郷愁を呼ぶ美しい風景というだけではなく、

用と美を兼ね備えた暮らしの方法であり見直されてきています。

残暑が厳しくても、この曼珠沙華は彼岸花という別名に忠実に、

お彼岸という暦に正確に出てきます。

温度に感応するのではなく、月の進行などと関係があるのでしょうか。

この後、高田造園設計事務所が設計施工された庭を見に行きますが、

その様子は、次のブログ「人が集う空間」をご覧ください。

見たいところを全て見終えて、最後に向かったのは、

「うつわや+cafe  草 so 」です。

日々の暮らしをさりげなく彩ってくれそうな器達を見せていただき、

シンプルで気持ちのいい店内で喉を潤わせていただきました。

ここも棚田を見下ろす高台にあり、窓からの景色にみとれながら、

自然の豊かな中での暮らしを始めた「草」の素敵なお二人との

お話が心地よかったです。

今回の小旅行で、とても印象に残っているのは、

お会いした方々の顔がとてもきらきらと輝いていたことです。

今までの幸せの物指しとは違う価値観で生きる暮らしが、

いろいろなところで芽吹いているようですが、

鴨川は、中でも、とても先進的な地域の一つのような気がしました。

ここには消えつつある懐かしい風景ではなく、

取り戻しつつある、これからの美しい暮らしがありました。(T)

心地よい風に吹かれて

千葉県鴨川市の家の完成見学会へ行きました。

二十坪ほどの小さな木組みと土壁の家です。

新建材を一切使わず、国産の自然乾燥させた木を使い、丁寧に手刻みで建てています。

建物が自律的に振る舞う柔構造は古武術に通じる部分もあり、

しなやかでたおやかで、地震の時にも力を逃し家を守ると言います。

大きな梁などの構造部分を見せることで、それが意匠としても機能しています。

ロケーションは、棚田の休耕田の上のとても見晴らしのいいところです。

設計から施工まで一貫して行うのは、

深田真工房(http://www.ne.jp/asahi/fukada/gont/)の深田真さん。

生家は昔ながらの日本家屋で、庭に栗や柿などたくさんの樹木が生きていたそうです。

そんな幼い時の座敷童と共に過ごした記憶が、今の仕事の原点のようです。

気持ちのいい風が通り抜け、この上なく心地よく、いつまでも寛いでいたい感じです。

すっかりリラックスしてしまい、深田さんにはいろいろなお話を聞かせていただきました。

縁側からの眺めは、池こそないものの修学院離宮の上御茶屋からの景色を思い出します。

壮大な景色を背景にして、大きな木が近景としてありいい感じですが、

このような環境では、作り込んだ庭など必要ないようです。

この竹をつっかえ棒に解放されている部屋は、お風呂場です。

露天風呂のようにここからの景観を堪能できます。

ついつい長湯してしまいそうです。

部屋の中の設えも、品があります。

身の回りの自然の材料だけで作られたこの家では、

親子4人のご家族が住まわれるそうです。

心地よい風の通り抜けるこの朗らかな住まいで、次の世代になっても、

二百年、三百年と住み継いでいくのでしょう。

深田さん、お施主様、どうもありがとうございます。(T)

武蔵野市吉祥寺の庭 進行中

何気ない仮設のフェンスのまま、長らくお待たせしてしまったこの空間でも、

フェンスの骨格作りが始まりました。

この手前にはリビングの大窓があり、そこを囲うように目隠しのフェンスを作ります。

用途が第一の構造ですが、それがかつ意匠でもあるように設計しています。

全面を遮断してしまうと圧迫感がありますので、

材木を前後に打ち付け陰影を出し、光と風が通るようにします。

この現場は、井の頭公園のすぐ近くの抜群のロケーション。

昼休みは弁当を食べに木陰へ、食後は池を一周、心が安らぎます。

池では、週二回増えすぎてしまったブルーギルやブラックバスなどの外来魚を捕獲しています。

日本にもともといたクチボソなどは、どんどん減ってしまっています。

そうすると、それを食べる鳥もいなくなり、全ての歯車が狂って生態系が壊れてしまいます。

あらゆることが繋がっているのですね。

植物の外来種はどうなのだろうといろいろ考えたり、調べたりもしてみたのですが、

こちらはまた機会を改めて書いてみようと思います。

土曜日ともなると、カップルや家族連れで賑わっていて、幸せな空気に満ち溢れています。

そんな道すがらの人々をいろいろなパフォーマンスで楽しませてくれます。

さて、気合いを入れ直して現場へ戻り、玄関までのアプローチを作ります。

勾配があったので、枕木と御影石、ピンコロ石で階段にしました。

それ以外の部分は、現場で採れた黒土も使い三和土にします。

コンクリートの硬質な印象とは違い、柔らかな土の質感が気に入っています。

構造物は、あと少しで完成します。

その後は、また少しお待たせしてしまうことになるのですが、

木々と下草が入り石が入ると、どう景色が変わっていくのか楽しみでなりません。(T)

 

 

住環境としての庭

剪定作業をしていると、よく鳥の巣を見かけます。

鳥の巣があれば、親鳥が雛に餌を与えるため、植物にとっては敵である

虫をいっぱいとってくれるのでなるべく残します。

今日あったものは、既に巣立った後なので取り外して観察してみました。

ビニールのような石油製品に溢れているのは、もちろん人間界だけではありません。

巣の外部は、ほとんどビニールです。

しかし鳥たちは、決して巣の内部には、ビニールのような化学製品を使いません。

鳥に難しいことがわかるかどうかはわかりませんが、我が子の健康を守るための

本能は失ってはいないようです。

我が身を振り返って、私達人間はどうかと考えると、なかなか胸を張れる状況ではないようです。

私達の住まいに溢れる化学物質が、ハウスシックなどを招いています。

人間は家を作りますが、家もまた人間を作るといいます。

どんな住まいで幼少年期を過ごしたかということが、その人の人格形成に影響を与えるそうです。

住まいというと、大工さんの作る箱物ばかりを考えそうですが、

庭もまた住まいの一部であると思います。

緑のある庭の中に家があり、そこで暮らす家族がいる。

本能を失わず、鳥さん達の住まいに負けないような自然の摂理にかなった住環境を

提供したいという思いで、庭作りに励んでいます。

その住環境としての庭を作るのが私達の役割です。(T)

失ってはいけないもの

今日は、中秋の名月です。

現場の近くの原っぱで、すすきを取ってきました。

満月は豊穣のシンボルであり、月光には心霊が宿っていると信じられてきました。

農業を営む家では、月を愛でるということよりも、農耕儀礼としての色彩も強いようです。

すすきに添える花としては、オミナエシやキキョウ、ワレモコウなどがありますが、

今年は萩と合わせて、花瓶に入れてみました。

団子や里芋、丸い果物も定番のようです。

このお月見のアイテムとして欠かせないススキは、屋根を葺く材料としても重要なものでした。

一昔前までは、田畑の面積以上に、野原があり、そこにはススキ、ヨシ、カリヤス、チガヤ、

クマザサなどあらゆる種類の草が生えていました。

茅葺き屋根というものがありますが、茅というのは、屋根を葺く草の総称で、

上記のものも含め、あらゆる草を指します。

そんなお話を聞かせてくれたのは、「小屋と倉」や「住まいの伝統技術」の著者である

安藤邦廣さんです。

 

先日、竹中工務店内のギャラリーエークワッドで行われたこの講演会のタイトルは、

「里山に学ぶ〜草と木で作る屋根〜」。

森林での生活の名残が残る山奥の村では、カバ葺きや木羽葺き、杉皮葺き、

桧皮葺きが残っていますが、

平地では、稲作の発達と共に草で屋根を葺く茅葺きが主流となりました。

この茅は、牛馬の燃料(食料)であり、屋根に使われ、その役目を終えたあとは、

田畑の肥料となり、まさしく循環していて、その功績は現在の石油にも匹敵するほどです。

それが、農林業の衰退と共に、茅葺き屋根も減っていきました。

しかし、それは過去の美しい遺跡の話ではなく、こんな光景こそ

未来の姿であると仰っていたことに、とても希望が持てました。

里山という言葉を世に広めた写真家の今森光彦さんも同じようなことを言っています。

「秀美な棚田。日本人が、心の中に持ち続けるアジアの原風景であり、これから再生すべき

未来の風景ともいえる。私達が失ってはいけないものが、この中にある。」

次の世代の幸福な暮らしのために欠かせない要素に、きれいな水、土、空気というものがあります。

経済はもちろん大切でしょうが、きれいな水や土、空気という基盤の上にしか、

持続可能な経済というものは成り立っていかないことは自明の理であるような気がします。

そうだとすれば、それらを脅かすような技術は、いかなる理由があろうとも、

除外していきたいものです。

中秋の名月を眺めつつ、こんな季節の行事を、孫の孫、そのまた先の代までも、

伝えていきたいなあと、しみじみ思います。(T)