藤倉造園設計事務所

残したいもの

代官山の商業施設から、その裏手にひっそりと佇む豊かな緑に囲まれたお屋敷が見えます。

崖線地形を取り入れた約5000㎡の庭の中に残されている住宅は大正期のものです。

かつてはおかかえの庭師が7名いたと伝えられる名家の庭も、

一時は荒れ果てて鬱蒼と陰っていたようです。

2006年から二年間かけて整備され、その際に出た剪定枝葉は

一回目だけでも、2tトラック20台もあったそうです。

そんな整備の後、庭に光と風が入るようになり、

林床に生えてくる植物も変わってきました。

処分することも検討されていたこの空間は、商業施設の建築家や朝倉家当主、地元有志の署名活動で

残され、再生され、今も地域の財産として慕われています。

この日は、箏の生演奏で新緑の季節にふさわしい演目を聞け、お茶も振る舞われました。

現在も各地で、解体の危機に瀕している住宅や庭はたくさんありますが、

こうした形で残していくことができれば、とても多くの人の心が潤うだろうなと感じました。(T)

 

穀雨

染井吉野はすっかり散ってしまいましたが、落葉樹の葉が芽吹き、

日々変化するその姿はとても楽しいものです。

雨が多く、工事が滞ることもありますが、こんな雨が穀物の成長を促しています。

暦も「清明」から「穀雨」へと移ろいました。

武蔵野の特徴的な地形である「はけ」にも、そんな新緑の季節は訪れ、

豊かな湧水が作り出した水面にその影を揺らしています。

この「はけ」沿いには、かつて別荘として使われていた土地が、

庭園やフランス料理店、美術館、洋菓子店などと用途を変え、

今も小金井周辺には楽しめる場所が多く残されています。

これから端午の節句の頃にかけて、ますます葉が開き、

様々な階調の緑の濃淡を堪能できます。

日々、緑に接して仕事ができることに感謝して、

その移ろいを思う存分感じたいと思います。(T)

共鳴し合う理念

温かな日差しの中で、冷たいけれど柔らかな風が桜を散らし、

その足下では、寒い冬を耐え抜いて春を迎えた草花が、

人知れずひっそりと咲いていて、その儚さからちょっとした悲しみを抱きます。

味噌作りは、「寒仕込み」といって寒い間にやるのが雑菌が繁殖しにくく最適といわれていますが、

毎年、なんだかんだで、桜の開花に焦るかのように、この時期にしてしまいます。

とはいっても、無農薬無化学肥料の大豆・トヨムスメに「寺田本家」の米麹で仕込んだ味噌は、

毎日の食卓には欠かせない美味しさで、速醸された市販の味噌とは比べられません。

美味しいだけでなく、このような醗酵食品は体調管理のためにも絶対必要で、

他のやりたいことを我慢してでも絶対作るようにしています。

ここは、多摩市のIB庭。

そして、こちらは、練馬区のAK庭です。

どちらも、引っかき傷のあるレンガや、でこぼこの石材などの材料を使用し、

その傷があることで壁に層を作り、微妙な陰影を生む効果を狙っています。

そんな光と影が生み出す重層性を、数々の建築で表現したF.L.ライト。

そんなライトの建築は日本で四カ所残っていますが、その中でも「明日館」は身近な存在で、

講演会を聞きに行ったり、コンサートを楽しんだり、散歩の途中でお茶をしに立ち寄ったりと、

ここのところよく訪れています。

ライトは、当時の明治建築が重んじた格式や重厚さをぬぐい去りたかったのではないかと

言われています。上流階級の社交場ではなく、観光客がくつろぎ、市民が一杯のコーヒーや

宴会を楽しむ近代ホテルの時代の到来を旧帝国ホテルは告げました。

自由学園の教育理念には、

「自分で考えることを大切にし、実物に即し、本物に触れ、よく身につく勉強を目指」すとあり、

そのカリキュラムにも農業などが盛り込まれ、

ライトが若い人達を育てた場「タリアセン」の理念とも共通項があります。

建築も庭も、住人の愛情に満たされてはじめて、

建築や庭が「住まい」となることを実感していたライトと自由学園の希望通り、

今も市井の人々に解放されていて、その恩恵にあずかることができます。

庭も建築も、季節や天候、時間帯や光の加減によって、全然違う感じ方をするものですが、

ライトアップされた「明日館」と夜桜の中で、ボサノバを聞きながら飲むビールは最高でした。

ライトは安価な住宅を、それよりも高価な住宅の質に迫るものをいかに供給できるかに苦心し、

そこから生み出されたのが、平均的なアメリカ人のライフスタイルに合わせて設計された

「ユーソニアン・ハウス」です。

ここ「明日館」も予算不足の中建設されたものが文化遺産となっていますが、

ただ単にライトだからすごいという次元を超えて、遺産以上に、

ライトと自由学園の理想が共鳴し合って、今なお息づいているという点に感じ入りました。

そんな高揚した気分をやさしく受け入れて鎮めてくれるのは、

静かに、しかし美しく佇んでいる夜桜です。

在野精神息づく大胆な発想と、そこから産まれた「有機的建築」の灯の絶えない姿を見て、

とても大きく、静かな幸せを噛み締めました。(T)

雪椿

雨水から啓蟄へと向かう候ですが、

暦通りには事は進まず本日の雪となりました。

庭作りの予定は詰まっていて、長らく待っていただいているお客様には、

ご迷惑をおかけしてしまいますが、自然には逆らえず、

全ては必然と雪の日には雪の日にしかできない過ごし方をしております。

まだまだ、とめどもなく天から雪が降りてくるさなかでの雪中散策。

雪吊りも連なると一層の趣があります。

雪には「六花」「天花」という別名がある通り、先人たちは、

冬空から舞い降りてくる雪を花びらに見立てて、

寒い季節の中にも「花」を見出しながら、あと少しで到来する春に思いを募らせたのでしょうか。

降りしきる雪の中で見る三重塔はいつも以上に風情があります。

これは雪を冠った寿老人の姿ですが、

中国の老子が天に昇って仙人になった姿と言われています。

「道(タオ)」の思想こそ、行き詰まった現代に一石を投じる考え方だと思うのですが、

寿老人は、そんな「自然との調和」を司る七福神のお一人です。

赤い椿には、「気取らない」「見栄を張らない」「慎み深い」「控えめな」などの花言葉の他に、

「自然の美徳」というものがあります。

こんな雪椿にあやかって、日々、等身大で自然体で、自然との調和を何より大切に、

生きていきたいものです。(T)

雪化粧

大人になっても雪が降ると本当にわくわくして、今回はどのくらい積もるかなと

何度も窓の外を眺めてしまいます。

今日くらい積もると、土をいじる庭作りはできなくなってしまいますが、

そんな雪が積もった日には、絶対行きたいと思っている場所が都内にも何カ所かあり、

この目黒の自然教育園もその一つ。

もともとは高松藩主の下屋敷であった場所ですが、明治になって陸海軍の火薬庫となったり、

宮内省白金御料地となった後、自然教育を目的として、自然の移りゆくまま、

できる限り自然本来の形に近い状態で残したいと人の手を加えることなく維持されています。

風倒木がそのままにされていたり、木道のある湿原があったりと

普段から山っぽさを存分に感じられるのですが、一面雪に覆い尽くされ、

木々に積もった雪が朝日に照らされキラキラしながら、ポタポタと落ちていく様を

全身で感じているとより一層の野趣を味わえます。

雪が溶けてしまうのが心配で、9時の開園時間がもどかしかったのですが、

同じように都内の雪景色を待ち遠しく思っていた楽しい大人達がカメラを携えて、

嬉々として集まってくる光景は、とてもあたたかいものに思えました。

光が徐々に強まり、気温がだんだんと上がっていくにつれ、

刻一刻と変奏していく風景は見飽きないのですが、他にも行きたい場所はあり、

後ろ髪を引かれながら次の場所へ向かいます。

六義園です。雪吊りで化粧された松と藁の防寒着を着た植物達が、

その衣装が似合う雪という最高の演出でとても輝いています。

こんな小さな三人家族もしっかりと守られていました。

はしごも三件目になると雪もすっかり溶けてきてしまいました。

旧古河庭園の小川治兵衛の作った庭園から、ジョサイア・コンドルの設計した洋館を望みます。

雪囲いをしなければ春まで咲かないボタンも、

こうすることによって雪の中で楽しむことができます。

自然のあるがままに任された森も、丹念に人の手を入れて愛されている庭園も、

雪化粧という自然の造形で、どちらもますます輝きを増していました。(T)

噛み締めてこそ

今日の現場は、東京都町田市。

今年の紅葉は、いまひとつで残念な思いがあったのですが、

ここは違いました。

一日手入れで現場にいると同じ景色でも、刻一刻と光が変わり、

それによって樹々の葉の色も変わり、風によって葉の姿が変わってとてもきれいです。

澄んだ空気の中で、微妙な色調の重なりを目で楽しみ、

風で葉が揺れ落葉する微かな音を耳で楽しめます。

そんな現場から十分も歩くと、旧白州邸「武相荘」があります。

GHQとの折衝にあたり「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ政界に強い影響力を持ちながら

生涯在野を貫いた「野人」白州次郎と、

文学、骨董に造詣が深く自分の目で見、足を運んで執筆する行動派「韋駄天お正」こと白州正子。

そんな二人が、農業をしながら自給自足の暮らしをするために選んだ場所が、

ここ町田にある雑木林に包み込まれた茅葺きの民家でした。

ここ「武相荘」の庭の管理を任されたのは、伽藍石を据えたことから信頼され、

白州正子さんから自由な出入りを許された福住豊さん。

庭そのものよりも食卓のテーブルから屋根の葺き替え、

大壺に活ける大枝を切ること、夫妻のお墓まであらゆる雑用を任されたようです。

庭はもともと野原だったところなので、草を抜くのではなく、下草刈りをし、

刈ったものはそのままにしてその上にクヌギやナラの葉が降り積もり、その風情を大事にします。

雑木林にはシャガやホトトギス、キンランやエビネなど多くの野草があり、

その中に灯籠や石塔、石仏などが無造作に何気なく佇んでいます。

今年の五月には、未曾有の災害の後の混迷の中、

あらためて心と心の繋がりが求められるようになる折、

世田谷美術館では、「白州正子 『神と仏、自然への祈り』」が催されました。

国宝だからといって無条件に認めてしまうのではなく、

肩書きや世評にまどわされず、自由な立場でものを眺めたい。

世の中には、国宝でなくてもはるかに美しいものや、愛すべきものや、

面白いものが沢山あるということを忘れて欲しくないという

白州正子さんの虚心坦懐の眼で選ばれたものは、

もちろん国宝もありますが、名も無き美しいものが多数あり、

また、そこに添えられた珠玉の言葉が気持ち良く時間が経つのを忘れました。

京都・高山寺所蔵の「狗児」とも出会うことができましたが、

これは白州正子さんも一冊本をしたためている明恵上人が大切にしていたもの。

明恵上人は、一木一草にも魂が宿るという「草木国土悉皆成仏」の考えから、

派閥も作らず名も無き民の救済のために尽力した人です。

八百万の神に感謝する日本人が昔から持つ心の拠り所を

思い出すことが今こそ大切なのかもしれません。

この展覧会では、それほど有名でないのにも関わらず、見る人の心を静かに、

しかし確実に打つ名品と出会うことができて、そんな名品に一つ一つ触れていくことで、

白州正子さんの胸中にある大きな森に分け入る喜びを感じられました。

庭師の福住さんは、白州正子さんに、

「味覚が分からない人は何をやっても駄目」

「自分で食べてそれが美味しいとか、美味しくないとかそれが判断できなければ

いい庭は作れないわよ」と言われたそうです。

化学調味料の添加された「食べ物」に慣れていると舌が麻痺してしまいがちですが、

美味しさの物指しとは何かと考えると、始めにガツンと刺激がくるものよりも、

噛むほどに味わいのあるものかどうかというところかもしれません。

滋味があって、何よりも後味がいいもの。

庭においても、日々の暮らしの中で、噛み締めて、噛み締めて、

それでも飽きのこない庭。

そんなものをつくってみたいなあと思っています。(T)

観察力

日本庭園協会東京都支部の秋季見学会が東京の奥座敷、奥多摩の御嶽で行なわれました。
川合玉堂美術館と画伯が晩年を過ごされた偶庵の見学、庭師の河村素山氏と漆芸作家の並木恒延氏による講演会です。

河村素山さんは若かりし頃、設計施工をされた中島健氏のもとで、この玉堂美術館を手掛けられた方です。
借景を強く意識する為、京都の龍安寺のようなシンプルな構成をイメージされて造られたこの庭は、現在みどりの島のようにサツキの刈り込み仕立て(写真奥)で低く抑えられていますが、当初は杉苔であったようです。景石や延段などの石も現地調達で下の渓谷から拾い上げてきて据え付けたそうです。現場調達出来ることは、その風景に馴染みやすく、つながりを待たすことが出来よい雰囲気を醸し出します。
なかなか、住宅地では材料を拾い上げる事は出来ないのですが、景観を損なわないようにセンスよく土地のものを使って空間構成をしていく努力をしていかねばと考えています。

この延段は鍵形の手法で、素山さんは現在でもこの手方は使うと、嬉しそうに語ってくれました。
講演会では『素山流作庭作法』と題して、今までの経験をもとに様々なディテールや考え方などを解説していただきました。

現在、川合玉堂美術館は開館50周年記念展、『玉堂・江中師弟展』が行なわれております。
写真の方が玉堂最後の愛弟子、宇佐美江中氏です。

玉堂先生が晩年を過ごされた偶庵で10年近い時間をを共に過ごされました。当時のエピソード
を交え、現在非公開の偶庵でお話をしていただきました。ユーモアたっぷりのお話は、当時の情景の絵が浮かび、大変有意義な時間を過ごさせていただきました。

玉堂先生は常々、『私は大自然宗である』と語っていたそうです。自然を観察して学び受ける事が何よりも大事であると考えています。
雑木をこよなく愛され自邸も雑木の庭となっています。家寄りに雑木を植え庭と風景を繋げる事を意識していたようです。

現在、住まう人がいない為、庭は少々荒れていますが、その庭を見て下枝を払えば良くなるなど、あちらこちらで 声があがっていました。
何とかして良い雰囲気の漂う、玉堂先生が愛した庭を未来に残していければ良いのですが。

建築は母屋を中心に四阿が2棟建てられています。
四阿は現場設計で大工さんが相当苦労されたとか。玉堂先生が材料を決め、設計、スケッチを描いたそうです。
写真の四阿は方水居です。センスの良くまとまった素晴らしい四阿です。テーブルなどは水車の歯車を加工したものです。
流れが庭を横断するように流れていて、昔はヤマメやイワナなどを池に放していたようです。
現在でも流れの水は緩やかに陽に当たりキラキラしながら流れています。

建仁寺垣根の材料の山割りを作っていたおじいさんにお会いしました。
今時分の竹が一番長持ちしていいんだよ!と、せっせと作っていました。
私達も建仁寺垣根は作りますが材料は買ってしまう事が多いですが、このように一枚一枚作る事により気持ちが入っていく事を思い出させてもらいました。

昼食後、漆芸作家の並木恒延氏による講演会です。『私の原風景と表現世界』というタイトルで
お話をしていただきました。漆というと漆器のイメージでお椀などを連想しますが、
若い頃から絵を描きたいと思っていた並木さんは漆で絵を描いています。
漆表現の可能性を追求し続け、可能性のなかに個性的な絵画的表現を確立した並木さんの作品は、
漆の概念を突き破る衝撃の美しさがありました。
幾つもの工程がある漆の絵画は、様々な貝やウズラの卵などで彩られ、見る人たちに優美の気持ちを与えます。

常に一点品です。時間をかけ妥協をせずに打ち込む事は、漆も日本画も造園も同じです。
自然への観察力を高め、日々日常からの蓄積、引き出しを多く持つ事が大切なのでしょう。
創作意欲を高め全力で取り組む事が美をつくることには必ず必要です。
人の心を揺さぶり動かせるような力強い作品になるように、考えに考えて行動していく事が未来に繋がると言う事を改めて感じました。
ジャンルは違いますが、同じ美を求めていく方々からの熱いメッセージが身にしみました。
どうもありがとうございました。(F)

日々の慈しみ

千葉県野田市に資材を仕入れに行った折、上花輪歴史館に寄りました。

創建当初の雰囲気を再現するために、しばしの休館期間を経て今年リニューアルされました。

この木賊垣は、釘を使わずに施されたもので、寸分の隙間もなく驚嘆するばかりの技術です。

贅を尽くして作られた館内は、どこもすごいな〜と感じずにはいられない技巧が施されていますが、

そんな見所とは違う場所でふっと胸の力を抜いている時に、

思いがけずどーんと心の奥底に響いて、すっと体に入ってきたのは、

おそらく作り手の作為の及ばないであろうこんな風景でありました。

館内では常駐スタッフが、落ち葉を掃き、萩をまとめて紐でくくり、

はびこっているゼニゴケに刷毛で食酢を塗って退治し、隅々まできれいに保っています。

醤油作りの道具や当時を偲ばせる道具も、

過去のものとは思えないくらいきれいな状態で保たれていて愛情を感じます。

庭でもそうであるように、一年に数度しか伺うことができない私達植木屋の手入れは、

良い空間を維持するためのほんの一助であって、そこに住まわれる方の日々の慈しみこそが、

何よりも心を打つ風景を生み出すのだなあと、そんなことを感じた素晴らしい歴史館でした。

資材を山梨県上野原市・陶陽庭へ運ぶと、少しですが紅葉が始まっていました。

ムラサキシキブは、紫色の優美なさまを源氏物語の作者になぞらえたとされています。

隣の敷地は、植林された杉林ではありますが、こうして柔らかい光が差し込むと美しいものです。

ここ陶陽庭は、放置された遊休地を買い取り、今日まで十年間かけて少しでも、

もともとこの地にあったであろう美しい雑木林に近づけようと木を植えてきたところです。

毎週末通い小屋を建て、少しずつ少しずつ育ててきました。

お客様からの頂き物や、町の解体現場から引き取ってきたものを主体に構成し、

私達の純粋な思いだけで、慈しんできた場所です。

そんな「空間作りの軌跡」は、

このホームページの「作庭例」の中の「陶陽庭」にも掲載されています。

全くの更地の状態からの変遷、四季折々の風景が分かります。

私達の思いの結晶ですので、ぜひご覧ください。(T)

 

 

地域を潤す庭

2009年の春にオープンした「庭のホテル 東京」です。

2年前幸いなことに、この庭づくりに参加する機会に恵まれました。

庭の設計施工は山田茂雄氏(山田茂雄造園事務所)です。

山田さんは、中島健さんの右腕として頭角を現し、名園を創り出してきた実力者です。

現在は息子さんと共に、大きな公共スペースから住宅庭園まで数々の美しい空間を手掛けています。

この庭のホテルは野山の木を中心に、山奥の雰囲気を醸し出しています。

その為には木を傾けたりしながら植栽をしていくのですが、

人工地盤のため土の量も制限されていました。

微妙な傾きの加減で雰囲気が変わってしまうため、

自然に柔らかい感じを損なわないように、

地盤に固定していくことがかなり大変だったことを記憶しています。

石の扱いも斬新で、自然の景色の中にも造形的な一面が見られます。

この写真の円柱型の石は、橋脚の基礎として使われていたものですが、

他に神社の鳥居の笠石を使ったり、一番上の写真にある水盤のように

手彫りで作っていた時代の石臼なども使われています。

庭は作った時が一番良いのではなく、時と共に美しくならなければなりません。

その為には5年10年先のことを読み、樹木の成長を考え、

木の持つ力を最大限引き出していけるような空間にしなければいけないのでしょう。

作庭当初より遥かに美しい空間になっている庭を見て、私ももっと先を読みながら空間取りを

していかねばと、改めて思いました。

山田さんの庭には独特の空気が流れています。

仙川の武者小路実篤記念館のそばにある「森のテラス」は、

国分寺崖線と言われるハケを利用した森のような庭が、

地域の人たちに開放されています。

大きなコナラやソロなどの雑木を最大限にいかし、要所、要所に草花が寄せ植えしてあり、

木漏れ日の踊る庭に爽やかな彩りを添えて、見る人を楽しませてくれています。

そこでは地域の人たちに様々なイベントなどで利用してもらい、

「雑木の庭」を実際に見て楽んでもらっており、

秋田でもまた壮大なスケールでの環境づくりが進められています。

地域の人たちと共に、未来に向けて環境を整えていけることができれば素晴らしいことです。

 

 

大きな木の下で

今日は渋谷区広尾の現場だったので、昼休みに近くにある

「レストラン シェ・モルチェ」の庭を見に行きました。

庭は、一度見ただけでは分からないもののようです。季節や天候、時間や光の射し加減、

風向きなどによって、違った感じ方をします。

ここへ行くのは三度目ですが、過去二回の訪問では、鬱蒼としていて、

蚊がとても多い印象がありました。今日は、お店へ入って大窓から庭を見た瞬間、

ドーンと心に響いてくるものがあり、時々雲間から太陽が顔を出し、葉と葉の間から何条かの

光線が射しているのがとても神秘的でした。庭へ出ても台風の影響か、蚊がほとんどいなくて、

小一時間くらい至福のお昼休みを過ごさせていただきました。

林床は白いニチニチソウで敷き詰められ、周囲を縁取るように少し赤色のものも混ぜてありました。

ここは、月一回の手入れをして、定期的に花を植え替えているようです。

木は、モミジが主体で、既存のケヤキの大木もあり、常緑はツバキやモチがありました。

倒木は、自然な雰囲気を出すように敢えて入れたもののようで、そこからフジなどのツタ類が

上へと登っていくのも、ここではとても趣き深く感じられました。

隣には、大きなマンションがあるのですが、木々がそれを覆い隠し、

都心にいることを全く感じさせません。

大きな木の下を、このように花で彩るのは、中島健さんの真骨頂だと思います。

ここは、白い楚々として他愛ない花がとても心を和ませますが、

雑木林には、派手な花々が整列して並んでいると違和感を覚えるかもしれません。

これは、今年の4月に小石川植物園で撮影したものです。

半自然空間でありながら、林床に咲く野の花が可憐で、

中島健さんの作品を彷彿とさせたのを覚えています。

私達が主に扱う雑木には、どんな野の花を、どのように添えていけば、

さりげなく心を打つのか、これからも研究すべき課題は山積みです。(T)