一日のうちで、一番明かりが美しいのは、
夕刻から夜に移行していく時間帯と言われています。
先日完成した吉祥寺の庭では、センサーが反応すると防犯用のライトが点きます。
これは、写真を撮るためにそのライトで草屋根を照らしているのですが、
お月見の時などに草屋根の上のすすきにフォーカスしてみるのも面白いかもしれません。
日本人は、かつて提灯や行灯など暖かい柔らかい明かりの中で暮らしていました。
庭主様は、家の中でも部屋全体を優しい明かりが包み込む
ルイス・ポールセンの間接照明を選ばれているため、
庭でも陰影のある「ほのあかり」を感じられるよう
光を当てる場所を決めるのには時間をかけました。
こだわったことといえば屋根の勾配もあります。
この自転車小屋には道路から草屋根がよく見えるようなという
ポワーンとしたビジョンこそあれ設計図はありませんでした。
現場の状況やハプニングに反応しながら、その場で決めていきます。
そして、この土間にも偶然から産まれた微妙な風合いがあります。
足で踏みしめた後、地鏝(じごて)を使って手作業で一日中叩き続けて仕上げているのですが、
途中、業者さんが残してくれた黒土の足跡を一緒に叩き込むことで、
味のあるグラデーションが生じました。
設計図というものの便利さや重要性を踏まえながらも、
現場で産まれる偶然性に寄り添ってものができていくことの面白さを感じられた現場です。
日本最古の木造建築といわれる法隆寺にも設計図はなかったと言われています。
そんな法隆寺の宮大工である西岡常一さんのドキュメンタリー映画『鬼に訊け』が、
今上映されており、雨の本日やっと見ることができました。
西岡さんは、大工になる前「土を知る」ために、農学校に行かされたそうです。
自然は土を育み、土は木を育てる、その教えの深淵さに身震いし、
遠回りに思える農作業には宮大工に伝わる全ての神髄が含まれていると悟ったそうです。
「法隆寺の棟梁いうても毎日仕事があるわけやない。仕事のないときは農業をやって
食っていたんです。田んぼと畑があればなんとか食っていけます。
ガツガツと金のために仕事せんでもええわけですから」という言葉もパンフレットにありました。
今でこそ、半農半Xと特別のことのようにいわれますが、
かつては、こういうことが当たり前だったようです。
映画を見た後に向かったサティシュ・クマールさんの講演会でも
同じようなメッセージを受け取りました。
西暦ではキリストの生誕を境として紀元前と紀元後と表されますが、
3・11前と3・11後でもとても大きな変化があります。
二年前に聞いた講演会の時からサティシュ・クマールさんは言われていたのですが、
これからの社会は、「soil(土)、soul(心)、society(社会)」だそうです。
「国破れて山河あり」という言葉があるように、戦後は豊かな「土」があったから復興できた。
「水」「空気」「土」など「自然」と切り離されては、人は生きていけませんが、
原発はなくても生きていけます。
石油やウランは日本にはなく有料で戦争の原因でもありますが、
「水」「空気」「土」は日本では特に豊富でどこにでもあって、しかもほぼ無料です。
そして不必要な労働はもうやめて、必要な価値ある仕事だけしようというメッセージも
西岡さんと共通するものでした。
また、植木屋として興味深いこんな逸話も。
仏教を広めたことで知られるインドのアショカ王のお話。
それは全国民に5本の木を植えることを義務づけたという決まり。
1本は食べものになるマンゴーやりんごなどの果樹、
1本はシッソノキなど材木となる木、
1本はニームのような薬効のある木、
1本は椿やジャスミンなど花を咲かせる木、
最後の1本は燃料となる木です。
そして、これらの木は自分の代で伐ってはいけなくて未来の世代のために残します。
地球は「自分たちのもの」ではなく、未来からの「借りもの」であるから、
地球を借りた時より、よい状態にして返すことが責任だという考えです。
植木屋の修行をしているものとして、それ以前に人間としてどう生きるべきか、
深い深いメッセージを受け取った貴重な雨の休日でした。(T)