藤倉造園設計事務所

おかえり!

手入れの時期に突入しています。

だいたい手入れは、初夏と年末のどちらかに分かれますが、

樹木の成長をコントロールしていくには初夏の方が良いようです。

しかし、近年夏の猛暑が続き、

夏前に手を入れた樹木の幹が焼けてしまい一時的に弱ってしまいます。

手入れも慎重に考えて手を入れていかねばなりません。

手入れは庭の環境を整え、林床に光を当て、健康に維持していく為の大切な作業です。

ここI様邸は30年来のお付き合い。

毎年毎年『ただいま』と言いそうなほど、自然な気持ちであたたかく向かえてくれます。

本当にありがたいことです。感謝の気持ちでいっぱいです。

作庭当初、黒土で仕上げた林床も、今では真っ青な苔に覆われ健全な環境が保たれています。

害虫の被害も以前よりもかなり少なくなりました。

害虫が発生しても無農薬の木酢液などで、害虫の活動を弱めていきます。

時間はかかりますが、庭を健康にしていくことが一番なのです。

一時的な処置の農薬はとは違います。

ここ上野原の陶陽庭でもいっさい農薬は使っていません。

虫にかじられている葉もあまりなく、人に悪影響を与える害虫も見たことがありません。

野鳥や益虫と呼ばれる生物たちも多くいるからなのか、良い状態の環境が保たれています。

みどりも青々と本来の姿で。

本来の姿になっていくこととは、健康になる環境づくりが必要なのです。

弱っている樹木ほど病害虫に犯されやすく、そこで農薬に頼ると一時的には良くなりますが、

良い微生物まで殺してしまい悪循環を生み出します。

木々を健康に強くしていくことが肝心なのでしょう。

健康なみどりを見ることは嬉しく、大きな力を貰えます。

小さな下草類(ユキノシタ)も光が適度に当たることで可憐な花を咲かせています。

流れの水が落ちる池の脇には、山紫陽花が綺麗に咲き誇っています。

その時期になるとちゃんと咲いてくれます。

植物の力でリズムを取り戻せます。

池から視線を上に向けるとモリアオガエルの卵が!!!

今年も帰って来てくれました。

健康な環境には生命が宿ってくれます。

健康な環境で豊かな生態系が築けることは素晴らしいことです。

庭の大きさは関係ありません。

小さくても豊かな環境は築けます。

少しでも多くの空間から豊かな環境が生まれることを願い、

実行して行くことが大切なことなのです。

 

そして、モリアオガエルくんおかえりなさい!

楽しみに待っていましたよ。

なかなか姿を現してくれませんが、

今度、一枚モデルになってくれませんか?どうでしょう。

 

 

 

 

 

 

草屋根

立川での今年最初の庭作りは、雪かきから始まり、

留守番でしっかりと家を守るワンチャンの好奇心旺盛な視線を受けながら、

無事に終了しました。

次の現場へ向かう前に、材料の調達と心をニュートラルに戻すことを目的に、

一度、山梨県上野原市の陶陽庭で一時を過ごします。

上野原インターを降りて、陶陽庭へと向かう途中には、

大きなケヤキの木があり、そこには20を越すヤドリギが寄生しています。

望遠レンズでズームアップすると、新酒ができた時に古くからの酒屋さんで見かけるような、

こんな姿が捉えられました。

これは実は付けていないのかもしれませんが、

先日、ある花屋さんでは、ヤドリギの実として、

こんなものが売られていました。

陶陽庭の下を流れる川には、降雪から一週間以上経っていますが、

これだけ雪が残っていました。

陽当たりのいい場所では、今年最初のフキノトウも収穫できて、

出始めでまだ苦みが多く、それだけに格別に美味しい野生の味をいただけました。

この地で、原点に還り、また次なる庭作りへと準備を進めます。

次の現場は、昨年10月に主庭が完成した吉祥寺の庭で、

駐車場奥に自転車小屋を作ります。

まだ小学生の頃に、『独りだけのウイルダーネス』という本を見て、

その作者の生き様と、

彼がアラスカの地でセルフビルドで作った草屋根の小屋に魅せられ、

父の教えを請いながら、草屋根を乗せたミニチュアのログハウスを作ったことがあり、

それは今でも大切にとってあります。

本に載っていた写真を、よくよく観察して構造を考え、

木を一本一本削って組み合わせ、窓枠はマッチ棒で作り、

屋根には本当の芝生の葉っぱを乗せてあります。

人生に暗中模索し、旅を続けていた頃も、

各地で日本古来の芝棟や海外が起源の草屋根を目にしてきました。

そして、次の現場では、修行中の身ながら、

20年来思い焦がれてきた草屋根を、

実物大で作ることに携わることができます。

そんなチャンスをくださったお客様に感謝をすると共に、

ただ草屋根を作ったというだけでなく、

美しい庭という風景の中にさりげなく馴染む美しい草屋根の自転車小屋作りで、

その一助となれるよう気持ちを引き締めているところです。(T)

悠久の時の流れ

山梨県上野原市の陶陽庭では、多くの草木が休眠状態に入り、

寒さに耐えながら、春への準備をしています。

そんな寂しい季節にも、この花はクリスマスの頃になると咲いてくれて、

遠くから響いてくる何かを聞こうとするかのように小首を傾げています。

花に見える部分は、実はがく片でそのまま残るため長い期間鑑賞することができます。

四季折々、その姿を変化させて私たちを楽しませてくれる草木の中で、

変わることなく静かに佇んでいるのは、この陶陽庭ができて間もない頃に、

吉祥寺のお客様の庭から譲り受けてきた石灯籠です。

そこに刻んである文字を読むと、

奉献 石灯籠
武州東叡山 ←上野寛永寺
大猷院殿 尊前 ←徳川家光の墓前に奉納

慶安四年極月二十日 ←家光が亡くなったのは慶安四年四月二十日。その年の極月(十二月)
秋元越中守富朝

とあります。

この秋元富朝(とみとも)は、いまの山梨県都留市のあたりにあった甲斐谷村藩の当主で、

その業績は、富士山の積雪が解けて発生する濁流「雪代」から田畑を守るため、

信州からアカマツ3万本を取り寄せて植林したこととされています。

約350年前に谷村城主から、家光の墓前・上野寛永寺に送られ、

いつしか吉祥寺へとやってきて、さらに様々な縁が重なって、

ここ陶陽庭へとやってきたこの石灯籠。

その送り手の残した仕事が、私たちと同じ木を植える仕事であったということに、

深い因縁を感じずにはおられません。

このアカマツ林は、今も富士山吉田口登山道の一部を、

諏訪森国有林として担っていますが、ここでもご多分に漏れず

マツノザイセンチュウの脅威にさらされています。

以前からマツの大木の幹に穴をあけて、農薬の樹幹注入で対症療法を施す

方法を試みられていましたが、環境の変化や森林の遷移の中で、

それは一時しのぎにしか過ぎず、管理をしている林野庁山梨森林管理事務所でも、

これからの対策を検討しているようです。

ナラ枯れやマツ枯れは全国的に深刻な問題となっていますが、

森は、気の遠くなるような時の流れの中で、次の森のために土壌を用意して、

少しずつ動いています。

それは森林生態学的に見ると、常緑広葉樹への遷移となるようです。

悠久の時の流れの中で、

誕生、死、再生という無窮のサイクルが繰り返され、

そのほんの一瞬を生きているにすぎない私たちにできることは、

豆粒ほどの微々たることですが、希望を持って、良き想いを抱いて、

日常茶飯を大切にすることしかないのだなあと思う年末です。(T)

 

野蚕

山梨県上野原市の陶陽庭でも、

遅ればせながら、やっと冬が到来し、落葉樹達はその葉をほとんど落とし、

冬枯れの木立の中で、幹を楽しむ季節になりました。

そんな中、モミジの枝に、美しい黄緑色の繭が二つぶら下がっていました。

家に帰って、それが何の虫なのか調べてみたところ、

ウスタビガという野蚕でした。

ヤママユのように全国の野山で自然の状態で生息している蚕は天蚕と総称されていますが、

このウスタビガも天蚕に分類されることもあるようです。

写真から、枝と繭をつないでいる柄がわかるでしょうか。

これは、ウスタビガが自らの糸で作ったもので、

もったいないから引っ張ったりはしていないのですが、

ものの本によると、大人の力でもなかなかとれないそうです。

日本では古来から、いろいろな色の微妙なグラデーションを繊細に分別して、

名前を付けてきました。

この繭の色は、若草色とも萌葱色とも柳色とも似ていて、

どれに当てはまるのかはわかりませんが、

とにもかくにも、その天然色が絶妙に素晴らしく見とれてしまう初冬の昼下がりでした。(T)

モミの木

11月中は暖かかったせいか、あまり眼に入らなかった街路樹や公園の木々達が、

師走に入り空気の冷たい日々が続いているため、

最後のお化粧を精一杯して色鮮やかに私達の眼を楽しませてくれています。

葉が落ちるということは、来年の芽の準備がしっかりできたことにより、

来芽によって葉が押し出されることのようです。

冷たい冬を乗り切り来年に向けて着実に動き始めています。

師走に入る前あたりから、娘達が「モミの木、モミの木」と騒ぎだします。

「本物のモミの木に飾りたい」と娘が幼稚園の頃から始めたクリスマスツリーも

今年で10年目を向かえます。

10年前は60㎝ぐらいの苗木であったモミの木も、今では180㎝ぐらいでしょうか。

オーナメントに隠れて存在の薄かったモミの木もかなり貫禄がついてきました。

オーナメントは手作りのもので、電飾などはありませんが、窓越しのツリーを眺めていると

なんだかあったかい気持ちに包まれます。

ちょっと前まで大きな靴下をぶら下げて願い事を書いた手紙を添えていた姿を

見られなくなってしまった寂しさはありますが、

クリスマスツリーによって思い起こすことが出来ます。

このモミの木は普段、上野原市の陶陽庭に植えてあります。

10年の歳月を経ると根鉢も大きくなり植木鉢に入らなくなってきたので、

今年で掘り起こすのは最後にして、今後は陶陽庭でのびのびと大きくしていこうと思っています。

根付いた頃に掘り起こしてしまうので、少しかわいそうな気持ちもありましたので。。。

私達のクリスマスの想い出はこのモミの木と共にあり、感謝の気持ちで一杯です。ありがとう。(F)

時を超えて

今年も残すところ、わずか二ヶ月、待ったなしで怒濤の手入れが始まりました。

この日は風もなく秋晴れのとても穏やかな一日です。午後から剪定枝を堆肥にするため、

陶陽庭に運び入れます。一年も寝かしておくと、とても状態の良い腐葉土が出来上がります。

その腐葉土を寒肥えとして、油かすや鶏糞など何種類かブレンドして木の根元に埋め込んだり、

畑の肥料として混ぜ込んでいます。

一般的に剪定枝はゴミとして処分されますが、こうして循環させることができると、

とてもゴミとは言えない立派な資源です。

陶陽庭がある上野原の地元農家の方々も「このような腐葉土が畑には一番良い!」と

喜んで貰いにきてくれます。

化学肥料に頼らず、うまく循環していけると素晴らしいのですが。

陶陽庭からの帰路、たまには違うルートを通ろうと、かつて長寿の村として有名になった

棡原(ゆずりはら)村を抜け、檜原村に出ました。

檜原街道沿いには秋川渓谷があります。とても良い渓谷です。

この渓谷は幼い頃からキャンプや釣りをしによく訪れたことがあります。

魚の方が一枚も二枚も上手な為、まったく川魚を釣った記憶はありませんが、

小学校卒業文集には趣味は釣りと書いてありました。

釣ったことは覚えていませんが、楽しく飛び回っていたことは覚えています。

なかなか渓谷上流には子供達だけでは行けず、親をはじめ大人の力を借りて行ったものです。

釣れない事を分かっていて付き合ってもらったことに、今さらながら感謝をしています。

この滝は、吉祥寺滝と呼ばれている所で、吉祥寺というお寺のそばにあります。

写真では伝わらないと思いますが、かなり豪快な滝です。

しばし佇んでマイナスイオンを十分吸収してきました。

五日市に入りしばらくすると、秋川渓谷沿いに炭焼き山菜料理の「黒茶屋」があります。

ここは250年前の庄屋屋敷を移築した母屋を中心に離れが点在しており、

山里の風情が味わえるお店です。

離れも茅葺きや杉皮葺きの屋根に苔や草、シダなどが生え、楽しませてくれます。

この「黒茶屋」は、私の尊敬する庭師・金綱重治氏の設計・施工の箇所もあります。

見に来るたびに新たな発見があり、勉強させられます。

「黒茶屋」からほど近くに広徳寺という応安6年(1373)に創設された

臨済宗の寺院があり、そこまで足を伸ばしました。

この写真は総門で入り口にあたります。檜皮葺きの下側が茅葺きとなっています。

参道沿いに進むと山門、本堂と続き、その山門は茅葺き二層式で美しさは絶品です。

このような地にひっそりと、こんなにも美しい建築が残っていることに感動すら覚えます。

堂々としたカヤやタラヨウの巨樹も歴史を感じさせます。。

時代を超えて感じることのできる美しさに接する中で、未来に恥じぬように、

今できる精一杯のことを考え、行動していかねばならないと強く感じた一日でした。(F)

 

 

 

 

 

 

日々の慈しみ

千葉県野田市に資材を仕入れに行った折、上花輪歴史館に寄りました。

創建当初の雰囲気を再現するために、しばしの休館期間を経て今年リニューアルされました。

この木賊垣は、釘を使わずに施されたもので、寸分の隙間もなく驚嘆するばかりの技術です。

贅を尽くして作られた館内は、どこもすごいな〜と感じずにはいられない技巧が施されていますが、

そんな見所とは違う場所でふっと胸の力を抜いている時に、

思いがけずどーんと心の奥底に響いて、すっと体に入ってきたのは、

おそらく作り手の作為の及ばないであろうこんな風景でありました。

館内では常駐スタッフが、落ち葉を掃き、萩をまとめて紐でくくり、

はびこっているゼニゴケに刷毛で食酢を塗って退治し、隅々まできれいに保っています。

醤油作りの道具や当時を偲ばせる道具も、

過去のものとは思えないくらいきれいな状態で保たれていて愛情を感じます。

庭でもそうであるように、一年に数度しか伺うことができない私達植木屋の手入れは、

良い空間を維持するためのほんの一助であって、そこに住まわれる方の日々の慈しみこそが、

何よりも心を打つ風景を生み出すのだなあと、そんなことを感じた素晴らしい歴史館でした。

資材を山梨県上野原市・陶陽庭へ運ぶと、少しですが紅葉が始まっていました。

ムラサキシキブは、紫色の優美なさまを源氏物語の作者になぞらえたとされています。

隣の敷地は、植林された杉林ではありますが、こうして柔らかい光が差し込むと美しいものです。

ここ陶陽庭は、放置された遊休地を買い取り、今日まで十年間かけて少しでも、

もともとこの地にあったであろう美しい雑木林に近づけようと木を植えてきたところです。

毎週末通い小屋を建て、少しずつ少しずつ育ててきました。

お客様からの頂き物や、町の解体現場から引き取ってきたものを主体に構成し、

私達の純粋な思いだけで、慈しんできた場所です。

そんな「空間作りの軌跡」は、

このホームページの「作庭例」の中の「陶陽庭」にも掲載されています。

全くの更地の状態からの変遷、四季折々の風景が分かります。

私達の思いの結晶ですので、ぜひご覧ください。(T)

 

 

未来の笑顔のために

山梨県上野原市の陶陽庭で、過ぎし夏の日には、

このように威勢良くピンピンしていたヤツガシラの茎も

幾度かの台風を経験し秋も深まった今では、しなっとしてきました。

芋の収穫は一霜浴びた十一月頃になりますが、

一足先に地上部分の茎・ずいきを収穫しました。

皮を剥き一週間ほど日干しにして、美味しく美味しくいただきます。

主役の芋の部分だけではなく、副産物のずいきも無駄にすることなく、

秋の食卓の脇を固めます。

今年始めに寒仕込みをした味噌も、暑い夏を乗り越えて良い加減に醗酵が進み、

リンドウが庭に出てくる今、食べ頃となりました。

田楽味噌にしていただくと、寺田本家の米麹を合わせ半年以上の歳月を経て熟成された

この味噌は、噛むほどに味わいが深く手前味噌ながら滋味があるように感じます。

そんな寺田本家も出店している「土と平和の祭典」が、先日日比谷公園で行われました。

加藤登紀子さんや高野孟さんが世話人を務めるこの大地へ捧げる収穫祭は、

有機的な農的生活を国民的規模で作り出し、持続循環型田園都市と

里山往還型半農生活を創造して国民皆農運動を行うことを目標の一つにしています。

意識の高い農家や団体が多数出展し、音楽がそれを彩ります。

芝生広場の真ん中に組まれた竹のジャングルジムには子供たちが登り、

その上から音楽を楽しんでいました。

加藤登紀子さんは戦後日本が復興できたのは、田舎に健康な「土」と「水」があったからで、

そんな命の源さえあれば大丈夫と以前から言っていました。

しかし、その「土」と「水」が汚染されてしまった今は、現実から目を背けず

絶望しなければいけない状況であるけれど、その中でも希望を失わず

絶望に立ち向かうための力をつけなくてはいけないと言っていました。

このお祭りは、農家を中心に、どうすれば子供達の未来を笑顔で満たせるように

できるかを考え、土にまみれ、大地にしっかり根を張って生きている人達が集まっていました。

各分野で、いろいろな方々が懸命に活動されていますが、

そんな未来のために、植木屋としてできること、植木屋にできる社会貢献とは何なのだろうと

考えるお祭りでした。(T)

 

旅立ち

この写真は、このホームページのトップページに使っている写真です。

この白い泡は何だろう、または、カマキリの卵かなと思った方もいるようです。

実は、これは山梨県上野原市・陶陽庭の池上の枝に産みつけられた

モリアオガエルの卵です。

日本には約35種類の蛙がいて、そのほとんどは水辺の近くで暮らします。

しかし、このモリアオガエルは、水辺から離れた林や、深い森の木の上で暮らします。

そのため指先には吸盤がついているのが特徴で、木から滑り落ちないような形態をしています。

ここ陶陽庭で卵が確認できるようになったのは、去年の五月からです。

そして今年も、こうして戻ってきてくれました。

樹上に佇んでいる親蛙の姿も目撃したのですが、あいにくカメラを持っていない時で

まだ写真に収められていません。

池の上に張り出している枝の上で、約三時間ほどかけて産卵は行われます。

この樹上で卵が孵化し、産卵後約十日ほどでおたまじゃくしとなり、

池へとポトン、ポトンと落ちていきます。

泡のかたまりは五個ほどあったので、この池には、数千匹ほどのおたまじゃくしが

いたでしょうか。

手が出て足が出るのを陶陽庭へ行く度に、いつかいつかと観察していました。

そして昨日ついに手足の出た子蛙を発見しました。

しっぽはまだ長いままですが、呼吸も既に、えら呼吸から肺呼吸へと変わっているはずです。

これから陸に上がり数日は、何も食べず木の葉の上や草むらで、

じっとうずくまっているようですが、やがて山へと移っていきます。

食べ物はアオガエルと同じくアブやハエ、蚊、蛾などの小さな昆虫で、

天敵は蛇や鳥のようです。

あと数日でこの池からは旅立ちますが、陶陽庭とその周辺の森で暮らしていくのでしょう。

とはいえ、周辺はもともとあった落葉広葉樹林が伐採され

植林された杉などの針葉樹林がほとんどです。

よりよい環境を求めて、コナラ、ソロ、モミジの樹冠の下に流れる小川が池へと注ぐ

この陶陽庭へ辿り着いたのかもしれません。

人間様の評価ももちろんありがたいのですが、嘘偽りのない自然界の中でも

とても繊細なモリアオガエル君に、認められたことがこの上なく嬉しい日々です。

モリアオガエルは基本的には、二〜三年後生まれ育ったふるさとの池に戻ってくる習性があります。

その時には、モリアオガエルの視点でも空間がとても心地良いものであるようにし、

親となって戻ってきたモリアオガエルを迎えたいと思います。(T)

 

幸せの物差し

剪定枝葉がたまったので、堆肥化するために山梨県上野原市の陶陽庭に持って行きました。

ここへ来るとやることが山ほどあります。

ブルーベリーの収穫もその一つ。

木は50本ほどあり、毎日滞在しているお盆休みには毎朝収穫しますが、

少ない時で一時間、多い時は二時間ほどもかかります。

完熟した実をとればとるほど、赤い実が次々に紫に熟していきます。

これが7月から9月前半まで続くので、結構な収穫量になります。

今日は、途中かなり激しい雨に降られながらも、一時間ほどかけてこのくらいです。

赤い実がまだまだあるので、しばらく楽しみは続きます。

そして、ホームページの今後の方向性を決めるため、

モチドメデザイン事務所(http://www.otsukimi.net/)の持留和也さん

に八ヶ岳から来ていただきました。

このホームページは、藤倉造園設計事務所と持留さんの間で、

試行錯誤を重ねながら、約一年間かけて練り上げてきました。

当初から、提案していただいたデザインがとても魅力的でわくわくし、

大枠ができディティールが詰まってくる度に、一時も早く皆さんに見ていただきたく

楽しみにしていましたが、先の8月6日にこうしてリニューアルすることができました。

持留さん、本当にありがとうございます!

私達が庭づくりで目指していることと同じように、ホームページも完成してから、

時を経て、より良くなっていくものにしたいと思っています。

持留さんは、とても個性的で魅力的な方のホームページを多数つくられていますが、

特に伝統建築の世界に造詣が深く、

「職人がつくる木の家ネット(http://kino-ie.net/)」では事務局として運営にも関わっています。

そして、八ヶ岳山麓の地には、畑と田んぼも持っており、80%は自給されているそうです。

そんな畑から、無農薬で育てた完熟トマトのトマトピューレをお土産に持ってきていただきました。

毎年9月に瓶詰めすることが恒例になっていて、これはサンマルツァーノという品種だそうです。

大地に根差し、これまでの幸せの形とは違う物差しで、

日々の暮らしを大切に営んでいる持留さんの暮らしは私達の目標です。

今後も、どうぞ、よろしくお願い致します。(T)